ぶたごやへかえる 矢玉四郎初の一般書「心のきれはし」


●アマゾンで古本が去年は200円でしたが、今は4000円。図書館にあります。(2016/4/8)

●平成28年3月 この本に書いたことが実現、日の目を見ました。
2016/3/14の朝日新聞「いちからわかる!」に『常用漢字の字形  国が方針を出したね』という解説記事がありますが、数日前に小さく報道されたことです。
「漢字の骨組みが同じなら、細かな違いで正誤を決めない」という見出しが出ています。
「女」の右上は突き出さないと厳しく指導されていることを批判したのが「心のきれはし」のなかの
「まちがいだらけの漢字教育」の項などです。

●発言を控えていましたが、今年は申年(さるどし)還暦からひとまわりして、いつ成仏してもおかしくない歳になりましたので、この十年間の仏道修行の成果もあり、世の次世代の人々のために、できることをやります。特に子供たちとその親世代に伝えることができることがあるとおもいます。(2016/3/14)

 2000年発刊の「心のきれはし  教育されちまった悲しみに魂が泣いている」(ポプラ社絶版本)に書いたことが、やっと日の目を見ました。16年もたってから、やっと修正されるわけです。それでも、発言の効果が少しはあったことが証明されました。もちろん私以外に指摘する人は多くいたでしょうが。(この本はアマゾンの中古が4千円。)

(本にマンガがのっています。それがこれです。

「まちがいだらけの漢字教育」という項に書きました。いま考えると、出版社の営業的にはまずいようですが、何しろ子供の時から「世渡り」が苦手です。だからこそ子供の心情を描けるわけですが・・
当時、教育評論で同じようなことを言っているなとおもったのが、尾木直樹さんだ。教師経験もあるので、この人がいるのなら私のような素人が発言しなくてもいいとおもいました。なにしろ発言すると生活が苦しくなるのですから。当時はまだローン返済地獄の中でした。
もともと20代で仙人ぐらしをしていたように、金にふりまわされないで、生きることを望んでいるところもあります。書きたい作品として地味な作品を提示してもボツになるのが現状です。多くの良心的な児童文学者たちも同じです。
子供の人生に影響を与える児童書は、その内容としては惨状といえる。出版社にも経営がきびしくて、昔のように、いわゆる良書?を、売れ行きを度外視して出版する心の余裕というものはなくなっている。
  ブロデューサーとしての編集の力が発揮されていないと、作家の創作力も落ちてきます。結果、損をするのは出版社。そんな堂々巡りで、どんどん落ちてゆくのは、出版だけではありません。あらゆるクリエイティブの現場で、同じ指摘がされています。打開するには、若者が現実にふりまわされず、過去から学ぶことで、現実を変えてゆく勇気と作業が必要です。時代がわるいので昔のように勢いのある指導者はいません。自分でやるしかないです。
(書きかけ工事中)しばらくしてまたおいでください。(2016/3/14)

●おことわり 2000年ごろからポプラ社で本をかなり出しました。坂井社長は初版は出版してくれるのですが、読者の要望があっても増刷をしてくれませんでした。
  この本はまさに教育批評なのですが、私は批評したものに新提案をしています。今までのものとはちがうので、商売のじゃまになるのかもしれません。例えば、時計絵本です。
「ちゃんとわかる時計」は、時計の玩具絵本のじゃまになるのかもしれません。毎年、時計がわからない子供が成長してくるので、毎年ぐるぐるまわる時計のついた絵本が売れるのですから。それで、時計が読めるようになる人もいますが、わからないままの人もいます。小学校での授業になると、問題となります。
  この「心のきれはし」では、時計教育について書き、「ちゃんとわかる時計」で、ちゃんとわかる方法を示しました。絵本や、「ちゃんとわかる時計」がほしいという人がいましたが、増刷されないので、よその出版社で出すことにしました。
  同じ内容では出せない契約をしていますので、ポプラ社とは2013年に契約を解除しました。
「あいうえほんシリーズ」「メカたんていペンチ」も同様で、人気があるのに増刷されないので、ほぼ全部の本の契約を切りました。
そして一年がかりで、「時計がわかる本」(岩崎書店)を出版することができました。南無阿弥陀仏。(2014/3/1)

心のきれはし ●絶版。出版契約解除しました。(2013/5/27) 
心のきれはし教育されちまった悲しみに魂が泣いているポプラ社
あとがきより
大人が太陽を見失い、数十年かかって腐りつづけてきたものを、短期間に修正できるわけがありません。あきらめてしまっている大人も多い。だが、それでは、この世に生まれてくる子供はたまったものではないでしょう。

最下段に書評あり。一件追加2002/2 


目次書き出し一行j
脱教育論-狂育を斬る
心を捨てるな教育を捨てよ日本人の心はうすよごれてしまった。/学校でうんこしよう学校という現場の現状が悲惨なものになっていることは、教師や親や子供がよく知っている。/学校は小賢しい者をつくる工場子育てをしていた親が、あわてふためくのは、子供が中学にすすんでからだ。/心のない教育ロボット自営業者、下請け業者は、生活のために、世間にたいしていいたいことをいえない。/子供の頭をごみばこにするな子供になにを教えるか、その手順を考えてみる。/学校が付和雷同する人をつくる。/学校を子供の天国にしよう/この世は地獄でもあり極楽でもある/テストは友達を蹴倒すこと/教育は戦艦大和として沈む
私の立場-児童書村のはぐれ豚はなぜ吠えるのか
まだら模様の戦後の五十年/「はれぶた」とは何か私の職業は、子供が読む本をつくることだ。/キレてる童話絵本作家私の立場は余人にはかえがたい。童話が学校教育にこびてはいけない私は学校教育に首をつっこむつもりはなかった。/スチャラカ人生
子供論のデタラメ
甘えの構造
日本人は子供の育て方もわからなくなったようだ。/子供は力をもって生まれてくるおろかな大人は、子供を、小さい、力がない、できない者とばかり見る。/古い信念を捨てて頭をパーにしましょう子供にノーといわれている先生が、教育熱心な、信念のある先生だという場合もある。/なぜ子供論はデタラメなのか子供論、教育論を専門家だけにまかせておくのは危険だ。/へびにへそがあったっていいだれもが子供のときに「あんな大人にはならないぞ」と思う。/電車ごっこのお客さんに「パパラギ」を戦後、日本人は電車ごっこをしていた。/創造性を育てる?ホントに?
次代に伝える日本語道
間違いだらけの漢字教育/文部省、教育者は神経症?/漢字の未来はあかるい漢字は世界にほこる文化だ。/不凍港?不登校?/かん字とはカンカラに入った字か?融通のきかない、ユーモアもわからない、真面目といわれる人たちに教育をまかせてきたために、ろくでもないことになっている。/桜もさよならも日本語/先生も気をらくにしよう昔のデモシカ先生なら、自分の考えをもっていた。/日本語のために
子供を殺した日本人
「子ども」表記は間違いだ/「子ども」はガキドモという意味だ英語を習うと、単数と複数の区別をさせられる。/教育改革は「子ども」表記の修正からはじまるほとんどの人は深く考えずに「子ども」と書いているのだろう。
時計教育を考え直すちゃんとわかる時計教育を/子供に時計を教えることの意味生まれたての赤ちゃんは、夜中に起きて泣いたかと思うと、お乳を飲めば昼間だろうと、来客中だろうと、すやすやねてしまう。/アナログ時計はおおざっぱがいい/低学年で時刻を教えるのはやめよう/生きた時間はうごいている現代人、とりわけ日本人が時計の奴隷であることは、多くの人が感じていることだろう。/時計はどうやってできた?/時計はメーターの異端児/子供に時計を教えるまえにやるべきこと時計の本をいくら読んでも、アナログ時計の文字盤の成り立ちにふれたものはない。/教育者が右脳を理解すること/短針だけの時の時計子供に時計がわかるように教えるにはどうすればいいか。/時計まわりを覚える方法時計を見て子供が間違う例としてあげられているものに、十時半の時計を見て、十一時半と答えるというパターンがあるそうだ。/日時計と太陽時計のちがい/長い針の分の時計の教え方/時計とはなにか?
魂に輝きを
列の後ろに並ぶな
西暦二千年のいま、あなたが年寄りであろうと子供であろうと、あなたの命、あなたの魂のために、自ら目覚めて、この世界、この時空間のどこにいるのかを確認すべきだ。/大人は子供の勇気を見習おういまこの時間にも、おそらく何千人という子供が、親も先生も友達さえも信頼せず、自室に閉じこもって、孤独の闇で命がけの戦いをしている。/心に祈りを

さっそく大分合同新聞:、福島民報にとりあげていただきました。ありがとうございます。学校の先生方、怒らないで読んでください。いやいや怒らなくてはだめでしょう。意見をメールでください。次の企画に生かします。

クイズ @という字には心があるでしょう  詩の一節ですがは漢字一字です。(例)思、悪、急
    A あなたの心のきれはしをください 小さな○○○○を包んでかえします  ひらがな四字です。(例)あめだま、しんせつ、はなくそ      
あなたはどういうことばをいれますか?正しい答えは本を見てください。


子どもと読書9・10 323
巻頭ホットライン寄稿全文(平成12年6月)

「心のきれはし」  矢玉四郎
 初の一般書「心のきれはし 教育されちまった悲しみに魂が泣いている」(ポプラ社)を出した。
 タブーとなっているのかどうか、なぜか世の論客が書かないことが多い。それも書いた。「子どもと読書」の読者にも、ぜひ私の考えを理解していただきたい。
 いいたいことのひとつは、
自分の考えが、ほんとうに自分の考えなのかどうか、受けてきた教育を検証して、厳しく問うてみてほしいということだ。
 子供は素直に自分の考えを表す。とたんに大人から「それはいけません」といわれて教育される。
 今、子供を悪くいう大人が多いが、子供はわるくない。大人がひどすぎる。腐れきっている。
 この世に来て、数年でたたかれ、殺される者があとを絶たない。逆にまったく叱らない大人もいる。 思春期の子供にたいしても、大人の度量のなさにあきれはてる。これほど息苦しい時代はない。
 この短い文ではなにも書けないし、誤解されるだけだが、「心のきれはし」を出すまえに、私はインターネットにホームページ「矢玉四郎はれぶたのぶたごや」を設立して、ゲキカラの直言を始めた。ヤフーで「はれぶた」と入力して検索できます。
 私は二十年前に「はれときどきぶた」が世に出たときに、子供の反応のすごさに仰天した。だが、児童文学史に名前も残らない、この業界の悪意にも仰天した。好きな童話を書いて生活できればいいと思って沈黙してきたのだが、近頃の子供状況のひどさには、我慢できない。自ら「キレてる絵本童話作家」と名乗ることにした。
 
本にも書いたが「子ども」表記さえも正せないとすれば、教育はおろか、なにひとつ改善することは不可能だ。なにしろ考える頭がないのだから。
 日本を「日ほん」「日ぽん」と書かれて平気な人がいますか?日本人である資格もないだろう。
 論議する勇気もない日本人、特に有名な人達、腐れはてている。権威に盲従するな。彼等もただの人間だ。うそもつけば、逃げもする。王様は裸だ。
 一人一人が、自分一人だけの独自の考えを建てる以外にない。
他人の考えたことに、安易に賛同する人が多すぎる。民主主義の初歩も会得していない。 外国人に鼻面引きずり回されて、日本人は人でなしになった。子供はそんな大人を見限ったのだ。
(絵本童話作家、在日日本人)


「きっぱり中退ワッハッハ! 私の高校中退後」寄稿全文りいふ・しゅっぱん 2000・3
はれぶたが吠える!黙っていたら世の中が腐る
一九八○年発行の「はれときどきぶた」(岩崎書店)は、子供読者に“はれぶた”の愛称で迎えられ、百万部を突破し、児童文学界、教育界に衝撃を与え、社会現象ともいわれた。九八年から九九年にかけては、ソニーの子会社制作のテレビアニメとしても放映され、原作の意外性のあるほのぼのとした笑いの世界から一転して、スピード感あふれる映像で、大人のアニメ通にも人気を得て、視聴率も一○%以上をとった。このアニメは、現在、香港でテレビを点けている人のほとんどが見たというほどの大ブレイク中という。
本書の表紙は、そのはれぶたの原作者の矢玉四郎さんが描いてくれた。実は、タイトルも矢玉さんのアイデアが入っている。“中退してよかった”というポジティブな気分になってほしいという思いが込められている。
初めての大人向けの本「心のきれはし 教育されちまった悲しみに魂が泣いている」(ポプラ社)を書き上げた。子供問題の閉塞感と、
大人の論壇にも、子供や教育を分かる人が少ないので、沈黙を破って、業界から干乾しにされるのを覚悟で発言し始めたという。ホームページ「矢玉四郎はれぶたのぶたごや」でも直言している。ヤフーではれぶたで検索できる。(文中の個人名の敬称を略します)

●教育されたらアホになる
 明治時代から突っ走ってきた日本の教育も総決算の時がきた。
 
にぶい大人たちは、子供の魂の叫びを聞こうとしない。子供たちの命がけの反乱によって、戦後の教育をやっと根本から検証できるようになった。大人たちも、自分の人生を反省するときがきた。
 子供が部屋に閉じこもって登校拒否したり、中退することは、大人が会社を止める程度のことではない。心の闇にうち震えながらの所業だ。
 こんな地獄のような現状を、だれもが、なんとかしなくてはと思っている。だが、どうすればいいのか考える頭を、日本人は戦後の教育によって奪われてきたことに気がつかなければだめだ。
 おおざっぱにいえば、
西洋の白人にあこがれつづけた黄色い猿が日本人だ。二重三重の間違いをおかしてきた。
 西洋人のいうことばかり聞いてきたが、その思想を真に体得はしていない。防衛問題ひとつ見てもわかる。うわっつらの口当たりのいいものだけを、ありがたがった。文学や、芸術の無批判な輸入と、地道に努力している日本人の独創を正当に評価しない愚かしさ。
 
日本古来のものを馬鹿にしてきたくせに、西洋の白人がほめたとたんに、急にもてはやすアホばかりだ。足元を見ず、ヘラヘラとうわついた精神の者ばかりになってしまった。政治、経済、文化だけでなく、あらゆる分野にあてはまる。農業、漁業にしてもだ。大根や、キュウリをとってみても、一九七〇年代から急に均質なものになった。
 物事を考えるのに、地に足をつけてゼロからスタートせず、業界の権威者の考えや、前例や、教科書や、マニュアルという台の上にのってから考えるくせをつけてきた。その台が腐っているのが現状だ。腐ったことに気がつかないアホも多い。
 教育改革には考える頭が必要だが、教育界には考える頭がない。その具体例が国語の問題であり、さらに「子ども」という間違った表記に端的に現れている。

●子供は“子ども”じゃない!
二年前に子供を「子ども」と編集者に直されてから気がついた。童話作品では、子供が主役なのでかえって子供という言葉を使わない。「子ども」と書いてはいなかったが、ずっとこの「子ども」という奇妙な表記を見てきたのに、まったく気がつかなかった。「子ども」表記を修正できないなら、教育の間違いも修正できない。改革はありえない。
子には、達、等、ども、をつけることができる。子達、子等、子ども。女にも、女達、女等、女ども。このどもは「共」だ。つまり、子どもと書いたら、子共となる。女どもでもわかるように“ガキドモ”という意味になる。子供はちがう。ひとりでも子供。子供だねと、幼いという意味でも使う。子供をひらがなにしたければ「こども」と書くのが正しい。「こどもの日」はそうなっている。
小学校では、子は一年生で教えるが、供は六年生まで教えないことになっている。供を使う語は、提供、供養、お供えくらいしかないし、戦後の教育は反宗教的でもある。子供の子は一年生で習うからなにがなんでも使えという強迫的教育だから、こどもと書けばいいものを「子ども」と書くようになったらしい。小学校の間中ずっと交ぜ書きになってしまう。刷り込まれたら、これが正しいと思ってしまうだろう。無批判になる。
子どもという表記は、昭和二十年代に羽仁説子が、供はお供の供だから、子どもにしようと言ったというのが始まりのようだ。昭和四十年代には教育界などでは「供」は悪い字だということになり、それを推進した岩波書店を批判することもタブーになった。
 
信じられないだろうが、柳田国男の「こども風土記」でさえも、原典に子供とあるのを岩波文庫版では、勝手に子どもと改竄している。学問的に許されないことだ。
 東大の教育学部教授や、岩波新書はほとんど子どもと書いている。日本語の表記をめちゃくちゃにした責任の一端は新聞にある。朝日新聞に投書しても、論旨が理解できないのか、無視された。この疑問を俎上にものせてくれない。相変わらず子どもだらけだ。だが毎日新聞は「ら致」をやめて「拉致」とするようになった。新聞界も日本語の正しい表記について反省期にはいったということだろう。読者も早く文化の奴隷根性から脱してほしい。

●鼻だけ見せても象の全体像はつかめない
学校では、まだ教えていない漢字は見せることさえしない方針のようだ。教育者は教えるということの本質がわかっていない。難しいことでも、見せておけば、その時には役にたたなくても、二○年後に、ああそうかとわかることもある。それをちょんぎって、今日はここまで見せて、他は見せないというのでは、今日は象の鼻だけを切って見せて象といい、あした像の耳を見せるというようなものだ。なぜ先に全体像を見せないのか。
漢字はもともと絵だから子供でもいっぺんでわかる。見せると完璧に教えなくてはならないという脅迫観念からか、教師の教える都合で難しい字を見せないようにしている。
スキー教室の教授法は良くできている。まず一流の先生がすべって良いお手本を見せる。右脳で全体像をイメージトレーニングをしたあとで分解して教えて、順次体験させていくので、だれでも無理なくマスターできる。
 習字でも、いい手本を見せることで右脳を刺激する。だが漢字教育では左脳で分解したものばかりを教えようとしている。子供が全体像をつかめない。

熟語の交ぜ書きは日本語の根本原則にあわない。「漢字」は「かん字」とは書けないし、「用意」は「よう意」ではない。「雄花と雌花」を「お花とめ花」としたら、大人でも「オはなトメばな」としか読めない。教科書には正しい日本語ではなく、できそこないの日本語だらけだ。私の童話では「頭のう」などとは書かない。あたまと書くか、頭脳と書いてルビをふっている。おかしな教科書通りにはしない。だが、いちいち編集者とけんかしなければならないので下請け業者としては困る。童話は、小出しにする意地悪さを持った教育というものの下請けではないのだが。

 
教育界では「子ども」と書くのが御約束らしい。いまでは文部省がこれを推進している。彼等は公務員だ。小学六年で習うはずの子供という字を書けない人には公務員の資格はないだろう。文部大臣、国会議員までが、子供という字を抹殺しようとしている。国会図書館の国際子ども図書館、子ども読書年など、国の行事までが、間違った表記になっている。官僚や議員に定見がなく、教育界の間違いをそのまま受け入れてしまったからだ。
 福祉や、子供、教育ということになると、よほど勉強していないと専門家に反論する力はない。だから、そのいいなりになってしまっているのが現状だ。これでは教育を正常にすることなどできるわけがない。子供、老人、障害者などの声を出せない人のいる現場で、本来味方であるべき専門家による犯罪が発生する。それを見て見ぬふりをし、もみ消すなど、あってはならないことが、頻発している。専門家に全てまかせてきてしまったのが、大間違いだ。教育ばかりではない。

●マニュアル人間をやめよう
教育界はマニュアル化してしまった。一九七○年代ぐらいから変になってしまったらしいことに、やっと今になって気づいた。
教えた漢字はその文にふさわしくなくても無理矢理使い、逆に教えていない漢字は一切使わないという方針がマニュアル化されていて、本来教科書とは関係ないはずの児童の読み物でも、編集者が執筆者の原稿を子どもと書き直す。
私は言うはひらがなで書きたい。原稿を書くと「いうとおり」は「言う通り」にされてしまう。おまけに「言」の上の点は下とくっついてはいけないなどと、わけのわからないことを子供に強制している。丸谷才一も、点が直角でも、横向きでもどちらでもいいと批判しているのだが、生かされていない。
 
全体像は見せないくせに、いやに細かい、ハネやトメや、書き順などをグジグジとつついて間違いだという教師という人間に、子供が不信感を抱くのは当然だ。
教育現場がそうだから、教育された親もそうなってしまっている。ひらがなの絵本を作るとき、古参の編集者は戸惑う。あという字の「の」部分の上が突き出ていないのは間違いだという偏執狂のようなクレームがつくことがある。出版社も商売だから結局、書体は教科書体しか使えないというへんなことになっている。そうやって、児童書の出版が、異常な教育の奴隷となりつつある。児童文学の質そのものにも影響が出てきている。
 童話が教育の下請けであっていいはずがない。現実は児童文学界から教育を批判する声も小さく、物言わぬ人が多い。話が逆だ、その評価は別だが、昭和二〇年代には、作家が教育にたいして熱く語っていた。子供の教育を教育の専門家にまかせっぱなしではいけない。教えるがわの先生も、
もっとおおらかに子供に接することができるように、考え方を大きくしたほうがいいし、親も先生を信頼するようにしないと、良くはならない。
 今は幼児教育にまで、異常に神経質なマニュアル思考がはびこっている。子育てそのものについてもそうだ。おかしな教育をうけた者が親になっているのだから。まず親が、素直な考え方を持っている子供から教えてもらって、普通の人間になるのがいい。

●はれぶたの心                                  
私は二〇歳代にはマンガを描いていたが、三〇歳くらいから、絵本や童話を書きはじめた。マンガならただ子供を面白がらせればいいのだが、児童書となって学校の図書館に置かれたりするとなると、いろいろ制約もある。
 それでも「はれときどきぶた」は、もし自分が子供だったら、こういうものを読みたいなと思って書いた。出版社で反対もあったようだが、店頭に並んだとたんに売れた。自分では、ナンセンスだから十人中二人くらいしかわかってもらえないだろうと思っていたが、子供は全員がわかってくれたので、こっちのほうがびっくりした。私自身も子供の心がわかっていなかったのかもしれない。
 子供の反応はすざましいもので、本をきらっていた子供もよろこんで読んだので、学校の先生も、日記がテーマということもあって、授業にとりいれた。
 けれども、どうして子供が飛びついたのか、内容を検討して、学問的に十分に研究されてはいない。ナンセンスや、ユーモアや、笑いなどは研究しにくい。それまで培われてきた真面目な教育者像と、マンガを代表とするユーモアなどの接点が教育界にはなかったのだから、仕方がないのだが。これからは、これをきちんと評価して重要視しなければ、子供の心も理解できないし、外国にもおくれをとることになる。外交交渉などでも、ユーモアのセンスはますます必要な武器となってくる。教育界でも本腰をいれてかかるときだ。 日本人にユーモアのセンスがないというのは、うそだ。民話や民謡を見てもわかる。落語、漫才、狂言など、上質のセンスをもっている。江戸幕府の上層部、明治政府や、軍隊などでユーモアを禁じられて、真面目にやれといわれてきたせいで、庶民の心にゆとりがなくなっている。教育を考えなおすのには、江戸の庶民文化にまで戻ってみなければ、付け焼き刃の改革しかできないだろう。

●庶民の知恵を取り戻そう  
 戦後の権威となっている知識人、文化人が民主主義がどうのこうのといっている間に、おじいちゃん、おばあちゃんから受け継ぐべき伝統文化が崩壊してしまった。育児まで西洋のまねをしようとしている。西洋の思想を聞きかじって、小賢しく社会を動かそうとしても、思ったとおりには世の中はいかない。天罰が下るだけだ。お天道様を馬鹿にした報いだ。
 
子供がおかしいとか騒ぐまえに、大人がおかしいのだから、そちらを正さなければ、どうにもならない。子供はこの世に来て何年もたっていない人なのだから。責任はすべて大人にある。だが、教育問題の責任はだれもとろうとしないで、子供が傷つけられているだけだ。一人一人が考えを変える勇気を持って、発言し、行動すれば、良くなることは確かだ。これ以上悪くなるとは思いたくない。
中退した子供は、脱藩した志士と同じだ。未来の日本にはばたく人材となるだろう。                      
                                                                   


●書評

    ◎ 本日の一冊:【 心のきれはし 】
    ■著書名:【心のきれはし】

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■ジャンル:教育
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■著者:矢玉四郎(やだま・しろう)
  1944年大分県別府市生まれ。日本児童出版美術家連盟会員。千葉大学工学
  部工業意匠学科卒業。日本コンサルタントグループ、日本NCR、たき工
  房勤務。以後、フリー。マンガ家を5年、のち、児童書の作家・画家とし
  て今日に至る。はれぶたシリーズが人気。
  http://village.infoweb.ne.jp/~harebuta/
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■出版社:
   ポプラ社/ISBN4-591-06518-9/1200円/191P
    2000/11  第1刷 
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■ <ワン・チョット>

 「教育されちまった悲しみに、魂が泣いている。。」

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■ <忙しい方はここだけ>

あくまでも子供の立場にたち、現在の教育が抱える様々な問題点を浮だたせ、
教育されちまった現代人に、未来を考えさせる“脱”教育論の本だ。

「何かに憑かれたように、怒りにまかせてペンを走らせた」というだけあって
現代の教育に対する指弾は、厳しい言葉が踊っている。
のりやす君が主人公の児童書「はれぶた」シリーズでは、現代社会のかかえる
問題をウイットで包んだ表現で提起しているが、本書では、ビシバシとストレ
ートな言葉で綴られている。

驚きを禁じえない「漢字教育」の実態、時計学習の面白い視点など、著者の独
自な考察は、目からウロコである。
「教育されちまった」人間を製造するのではなく、「学ぶ楽しさを身につける」
ための環境を整備していくことが大切だ。

「子供の心には太陽が輝いていなければ」ならないという信念が貫かれた著者
の叫びは、私達に「考えること」と「行動すること」を促している。
子供の頭をごみばこにする教育は、狂育である! みんなで考えよう!

おすすめ度は、★★★★☆+きれはし
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■ <お暇な方は、もう少し>

「間違いだらけの漢字教育」では、小学校での漢字教育に鋭いメスをふるって
いる。

例えば、ふだんの国語の授業で。教えた漢字を完璧にかけということに力がは
いりすぎだという。ハネルだのトメルだのあまりに細かいところにこだわりす
ぎだというのだ。
例えば「女」という字、ノの右上のところは少しでるのが"正しい”んだそう
だ。(もし、このマガジンをゴシック体で読めば、右上は突き出ていないはず
)「新指導要領準拠小学学習漢字の正しい書き方」という冊子には、そういっ
た事細かなことが書いてあるようだ。

漢字を教えることはいいが、あまりに完璧にかけというのは酷だということだ
。指導要領をさらにみていくと、あきれるほどのことが縷縷書かれているのに
驚いてしまう。

時計の学習のところには、こどもが時計を覚えるときの「苦労」が大人もわか
るクイズがある。これ、実に面白い。アナログ時計で文字の位置を180度ず
らしたり、逆周りに配列しただけで、ウーンとうなってしまう。さらにさかさ
まの文字列、逆周りの時計になるとほとんどバンザイ。
最もユニークなのは、12時の位置が4時くらいにある時計。ほとんど思考が
止まってしまいそうだ。はじめて時計を覚えるときのこどもたちの苦労がわか
るような気がする・・・。
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「私達は、自ら考えることをやめて、とりあえず楽に生きるために、てっとり
 早く教育されようとして、生来だれもがもっている生きる魂の輝きを失った
 。」という著者の嘆きは、しっかりと受け止める必要がありそうだ。

塾、お受験、模擬試験・・・どこそこの学校・・・「てっとり早く」の代わり
に失っていくものを子供をもつ親は、じっくり考えてみたい。

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■ <読んで欲しい方>
  お父さん、お母さん
  登校拒否の児童を抱えて悩む親御さん(きっと元気がでます)
  先生、教頭先生、校長先生、PTA会長さん
  教育学部在学中の方
    おすすめです。
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■ <オススメ度>

    ★★★★☆+きれはし

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■ <がまんできなくなった方はこちらへ>

    ●BK1              ( http://www.bk1.co.jp/)
    ●Book Chase ( http://www.php.co.jp/book/)
    ●ISIZE Book ( http://www.isize.com/book/)
    ●富士山・コム    ( http://www.fujisan.com/webook/bookindex.html)

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●イーエスブックス たんぽぽの綿毛 えいみい店長

  心のきれはし 教育されちまった悲しみに魂が泣いている
 

矢玉四郎/著
ポプラ社
1200円(税別)
 「教育されちまった悲しみ」、これほどミスマッチなことばは無いように思える・・・。 いやいや、確かに、人間は教育を受けることによって、多くのものを失っていくのです。 教育ではなく、学習のできる社会を、作って行かなければ。 あの、子供達の世界では知らない人のない、「はれときどきぶた」の作者が送る、型破りの教育論。読んでスッキリ。 【★★★★★】 −11/15更新

弁天堂のレゲエ墓場

『心のきれはし 教育されちまった哀しみに魂が泣いている』 ★★★★★
< 自分のことだけ考えている人間は、自分である資格すらない。 >

ベストセラー『はれときどきぶた』著者による初のエッセイ集だ。

タイトルは、「私がやらねばならぬ」事に腹くくった著者が引用したタルムードの言葉から。

「心を捨てるな、教育を捨てよ」

と叫ぶ矢玉さん。なんかエキセントリックな極論だと済まされそうな気もするけど、じゃぁ、これはどう?

「学校でうんこしよう」

小学校に通うようになって辛かったのは、うんこができなかったこと。オレは入学早々、ブリブリもらしたけどね。うんこできない場所なんだよ、学校って。どうして学校でうんこできないのか、考えたことあっか?

矢玉さんは世間に蔓延するクダラナイ子供論に喧嘩を売りつつも、社会的立場のがんじがらめで不自由な言葉しか喋れなくなってしまった現場の人々にエールを送る。もっとあなたたちのホントの声が必要なんだよと。

この辺はまだ練りきれていない…ちょっと抽象的に拡散した総論が、凄まじい切れ味の各論に急降下する。今回の主な標的は「漢字」と「子ども」そして「時計」だ。

日本語は「漢字仮名まじり文は、漢字のかたまりをひとつのブロックとして認識し、これが単語だと判断する」言語だ。古人から受け継いだ財産(国語)をずたずたに破壊しながら、子供を漢字嫌いに追い込んだ、戦後漢字教育への批判はあまりにもまっとう。そして…

「童子をどう子、兄弟を兄だい、大人を大となと書くばかはいない。「子ども」と書くのは、これに勝るとも劣らないばかだ。ばかが日本中に増殖している。このままでは日本が滅びる。子供、こどもと書くべきだ。」

矢玉さんの「子ども」表記批判については本書に詳しいので、目をかっぽじって読んでほしい。それにしても最近の旧メディアの日本語は酷すぎる。

こないだ、「少林寺けん法4段同士けんか、知人を死なす」という新聞記事を読んだ。武術を喧嘩に使うのはもってのほかだけど、なんだこの「けん法」っつー表記は。お寺に伝わる憲法か?他日、某新聞社にメールで問い合わせたら、『…拳法が「けん法」と表記するのは、国の国語審議会答申を基にして日本新聞協会用字用語懇談会が取り決めた「制限漢字条項」によるものです。…』云々との答え。んなアホな。小学生でも知ってる「拳法」という単語を、えらそうに自主規制してる「日本新聞協会用字用語懇談会」って一体ナニモノじゃぁ!(憤怒)

はっきりいって、(誤字脱字)を除けば、インターネットの日本語は新聞メディアより格段にまともだ。夜郎自大ではない。新聞や教育(受験での引用が多いことを誇ってるアホ新聞もあったな…)がそれだけバカに汚染されているのだ。自分たちの「コトバ」さえも国家にお伺い立てなきゃ気がすまないメンタリティはいかれてるとしか言いようがない。おっと脱線ごめん。

あと、目から鱗だったのが第6章「時計教育を考え直す」だ。いま、アナログの時計を読めない子が増えているそうだ。矢玉さんは、人間が時間について学ぶとは一体どういうことなのか、という地点まで遡って時計教育のあり方を(暫定的に)提言している。

なんとなく読んでいるアナログ時計が、いかに特異な概念の組み合わせでできているか、という事に気付かされてはっとした。こりゃ大人が智慧をつかわなきゃ、子供が可哀想だ。そこで、イラストに載っている矢玉式時計教材(意匠登録済み)はほんとに便利そうです。

息抜きに挟まれてる「小指童話」もいい感じ。力いっぱい正しく前向きに、面白く幕をとじる『心のきれはし』。レビュー波止場で紹介済みのHP「はれぶたのぶたごや」(http://village.infoweb.ne.jp/~harebuta/)と併せて必読よ〜。
2001-07-30/弁天堂

松山真之助さんの「ほぼ日替わり書評」
あくまでも子供の立場にたち、現在の教育が抱える様々な問題点を浮だたせ、 教育されちまった現代人に、未来を考えさせる“脱”教育論の本だ。 「何かに憑かれたように、怒りにまかせてペンを走らせた」というだけあって 現代の教育に対する指弾は、厳しい言葉が踊っている。 のりやす君が主人公の児童書「はれぶた」シリーズでは、現代社会のかかえる 問題をウイットで包んだ表現で提起しているが、本書では、ビシバシとストレ ートな言葉で綴られている。 驚きを禁じえない「漢字教育」の実態、時計学習の面白い視点など、著者の独 自な考察は、目からウロコである。 「教育されちまった」人間を製造するのではなく、「学ぶ楽しさを身につける」 ための環境を整備していくことが大切だ。 「子供の心には太陽が輝いていなければ」ならないという信念が貫かれた著者 の叫びは、私達に「考えること」と「行動すること」を促している。 子供の頭をごみばこにする教育は、狂育である! みんなで考えよう! おすすめ度は、★★★★☆+きれはし ---------------------------------------------------------------------- ■ <お暇な方は、もう少し> 「間違いだらけの漢字教育」では、小学校での漢字教育に鋭いメスをふるって いる。 例えば、ふだんの国語の授業で。教えた漢字を完璧にかけということに力がは いりすぎだという。ハネルだのトメルだのあまりに細かいところにこだわりす ぎだというのだ。 例えば「女」という字、ノの右上のところは少しでるのが"正しい”んだそう だ。(もし、このマガジンをゴシック体で読めば、右上は突き出ていないはず )「新指導要領準拠小学学習漢字の正しい書き方」という冊子には、そういっ た事細かなことが書いてあるようだ。 漢字を教えることはいいが、あまりに完璧にかけというのは酷だということだ 。指導要領をさらにみていくと、あきれるほどのことが縷縷書かれているのに 驚いてしまう。 時計の学習のところには、こどもが時計を覚えるときの「苦労」が大人もわか るクイズがある。これ、実に面白い。アナログ時計で文字の位置を180度ず らしたり、逆周りに配列しただけで、ウーンとうなってしまう。さらにさかさ まの文字列、逆周りの時計になるとほとんどバンザイ。 最もユニークなのは、12時の位置が4時くらいにある時計。ほとんど思考が 止まってしまいそうだ。はじめて時計を覚えるときのこどもたちの苦労がわか るような気がする・・・。


「偕成社五十年の歩み」非売品)で、会長の今村廣氏は1987年に、こう述べておられる。「日本では戦前から学校信仰が根強い。だが私たちは人間形成にかかわる学習という観点からみて、最近の学校教育に絶望し期待をもてなくなっている。そして反比例的に本や読書の重要性が増大していると考える。つまり全人格的学習、人間形成面で、今の学校教育のできない部分をいくらかでも児童書出版が果たすのだと考えるに至った。

愛という字には心があるでしょう なのにあなたは心を見せないー♪作詞矢玉四郎/作曲丹羽応樹


 矢玉四郎「心のきれはし」