ぶたごやへかえるぶたごやへかえる


雑誌寄稿 特別公開
ぶたの遠吠え

雑誌に寄稿したもので、古いものを公開します。なかなか読めないと思いますので・・まだ追加する予定。
はれぶた研究のためには、「子どもの文化」1987/11(子どもの文化研究所)が特集を組んでいるので、これを紹介したいのだが、藤田のぼる氏の許可はうけたけど作業の手間が・・・お待ちください。
他に、「三輪車疾走」一号の野上暁氏の文などもある。(2003/5)矢玉


●目次

児童書・絵本の著作権(2004/5)
いーこいーこしましょ(2003)
集会とはなんですか?(1988)
わたしがもらったファンレター(1987)
いらぬおせっかい教育(1988)
核兵器ならぬ拡声器も廃絶(198??)。
子供の本に思うこと(1995)
どろあそびをする能力をなくした大人(1997)
私が作家になったわけ(1998)
分からない数だから分数?(2001)
これからどうなる子供の本(2001)
売れればエライか?(甲木善久氏の文1997)


★日本文藝家協会ニュースaD632  (2004/4)   
児童書・絵本の著作権      矢玉四郎

 日本文藝著作権センターは、まだヒヨコですが大きく育てて、文芸家が安心して創作に専念できるようにしたいものです。
 私はデザイナー、漫画家をへて児童書の作家となり30年。創作一本で生活をしてこれたのは、絵描きでもあるからです。漫画もそうですが、絵は人に見せるとすぐ反応があり、それが金になるかどうかの答が早く出ます。
 著作権が注目をあびていますが、教科書、児童書の作家団体としては児童文学者協会と児童文芸家協会とに分裂した状態が続いています。これが作家の発言力を弱くしています。
 画家としての私が所属する日本児童出版美術家連盟は、40年前から著作権運動をやってきました。絵本はもとより児童書には絵が欠かせません。画家の力が特に重要視されます。
 先輩方(挿絵、絵本、図鑑などの画家)が出版社と交渉して、画料だけだった支払いに、印税による支払い方式も確立しました。それには出版社との血みどろの戦いがあったはずです。常識では印税は10%ですが、不当にもかなりの児童書では8%に抑えられています。それを文と絵で、例えば4%づつに分けています。
 金銭もさることながら、絵描きの場合は著作者人格権にこだわりがあります。過去、原画を勝手に切ったり張ったり汚されたり、紛失されたりした事件が多発しました。文章原稿とはちがって、画家にはそれ自体が芸術作品という意識があります。絵のわかる編集者は少ないので画家は苦労します。
 近頃は絵もデジタルになってきたので、コピーや改変も簡単にできます。著作権を守るのも困難になってきました。
 著作権争いは激化するでしょうが、法律や商取引に弱い作家が、安易にそれ専門の代理人に交渉を委ねることは、著作者としての創作の理念を見失う恐れがあります。私は勉強のために、アニメ化商品化にも首をつっこんで、発言してきました。                         


生活共同組合連合会グリーンコープ連合「グープ」誌vol.2 2003/12発行

いーこいーこしましょ      矢玉四郎   

 赤ちゃん絵本をはじめて作りました。「いーこいーこ」(ポプラ社)というシリー
ズで「いないいないばー」「べろべろばー」「あっちむいてほい」の三冊セットで
す。
 いないいないばーの絵本はありますが、べろべろばーはありませんでした。
 世の中がぎすぎすしていて、子供が泣くと、お母さんもまわりに気を使いすぎです
が、大人のピリピリした雰囲気は子供に悪影響をあたえます。「泣くのは子供の仕事
だよー」と、肝っ玉母ちゃんのように開き直りましょう。
 まわりの大人も、お母さんの味方になって、べろべろばーをやって見せたらいい。
この絵本でも、こわそうなおおかみのおじさんが、べろべろばーなんてやってます。
みんなで、いーこいーこしましょう。それだけで世の中は明るくなります。
 自分の子だけかわいがっても、その子は育ちません。ほかの子といっしょになって
成長していくのですから。
 犬の赤ちゃんが生まれときには、目が開いていないことは、だれでも知っていま
す。人間の赤ちゃんも生まれてすぐには、目はパッチリと開いていても、物を見る力
は弱いようです。お母さんの顔がボンヤリと見える。だから「お母さんですよー」と
売り込んでやらないと、お母さんだとわかりません。コマーシャルのように毎日売り
込みましょう。でないと、売り込みに必死なおじいちゃんに負けてしまうかも。
 目はただのレンズで、見た像をほんとの意味で「見る」のは脳です。脳で立体的な
像を組み立てています。赤ちゃんは、多くの物を見るうちに、だんだんその力をつけ
ていくわけです。動くものを目で追うことができるのは、知能がはたらいているから
です。
 昔の人もそんなことはわかっていて、べろべろばーをやって、赤ちゃんをきゃっ
きゃっといわせたりします。半分は自分が楽しんでいますが、いつもはまじめな人を
そんなふうにさせるのも、赤ちゃんの力です。
 耳のほうは、お母さんのお腹の中にいるときから、音を聞いていて、日本語の話も
聞いているようです。生まれたときには母国語の元になるものが、脳に組み込まれて
いるという説もあります。
 幼児に英語を教えることが流行のようになって、あせっている親もいるようです
が、母語である日本語をしっかりと聞かせて、おしゃべりをしながら、脳に言語の体
系がバランス良く出来上がるのを待つほうが結果は良いはずです。もっと冷静に議論
されなければいけません。
 二カ国語でぺらぺらと、いいかげんなことをしゃべることよりも、母語で考え、独
自の意見をしゃべることができる、しっかりした心を作ることのほうが百倍大事で
す。
 世界的に尊敬できる日本人がいれば、外国人が日本語を勉強して話を聞きに来ま
す。言語問題は単に発音や文字の問題ではなく、文化の根本だということを今の日本
人は忘れています。
 日本のある町に生まれた子供は、その土地からいろんなものをもらって成長しま
す。その町の独自の慣習や、方言なども大事な心の栄養なのです。気候風土などから
も多くの影響を受けながら育っていきます。                  
      
 犬や猫などの小動物や、大人がいやがる虫とだって、子供は友達になったりしま
す。ハエの飛ぶようすを見て、つかもうとしたり、にげたりします。それはハエが子供
の心を育ててくれているともいえます。小林一茶は「やれうつな 蠅が手をすり 足
をする」と俳句をよみました。大人が見逃すような小さな光景に、一茶は心をとめる
ことができます。こんな人は子供の心がよくわかる人でしょう。
 神経質できれい好きな人は子育てがたいへんです。バイ菌のことで頭がいっぱいに
なっていて、やたらと「手をすり」消毒する人がいますが、こんな人にかぎって押入
れの中はごみだらけなのに平気だったり、冷蔵庫の中にくさったものをためこんでい
たりします。心のバランスがとれていないので、「どうでもいいことは、どうでもい
い」とおおらかな気持ちで開き直らないとたいへんです。
 他人の一言でいちいち傷つくようでは、子育てがいやになります。子供を育ててい
るうちに新米の親もたくましくなって、どんどん成長していきます。 
 地域のみんなで、地域の子供をいーこいーこしましょ。


「演劇と教育」1988・3月号・ナンパー382/特集集会活動を見直す1988・1・20 400×6=40×60
集会とはなんですか?                   矢玉四郎

 集会についての提案をという依頼をうけて、困ってしまった。なぜなら、「集会」という言葉自体が、私にとってなじみのないものだからだ。考えてみると、自分で「みんなあつまれ」といって、集会を主催したことは皆無である。だから、とても「楽しい集会」について書くことなどできそうにもないので、おことわりをしようとおもったのだが、そういうひとに、集会について語らせようということらしいので、ちょっと考えてみることにした。ただし、集会などという言葉を自分では使ったこともないので、集会の解釈自体が違っているかもしれない。
 集会のいやなところをのべてみると、まず、人の都合も考えず、勝手に時間を指定して、何時に来いという。前もって時間を指定されるということは、自分の未来の時間をそのために切り売りすることである。その指定時間に、自分の気分や、体調がどうなっているのかもわからないのに、その時間になると行かなけれぱならないと決められてしまうことが苦痛である。
 おまけに、その時間に行くと、だれも来ていなかったりする。主催者のすがたはおろか、ひどいときには、その場所でこれから集会がはじまるのだという表示もなにもなくて、場所と時刻をまちがえたのではないかとか、あるいは、集会そのものがまぼろしなのではないかという不安にかられることがある。
 特に初めて出席する集会では、顔を知っているひとが、話かけてくれるまで、身のおきどころがなくて不安である。すぐ始まってくれればいいのだが、親しい仲間だけがグループをつくって楽しそうになにやら話しているなかで、ぽつんとひとりで待たされたりすると、気がめいってしまう。
 集会というものが、何かの目的をもって開かれるものとすれば、主催者の押しつけがましさがいやだ。ほとんどの主催者は自分の考えや、ある意図を他人に押しつけるために集会を開く。集まった人々になにかをおしつけるか、ぎゃくになにかを奪うために集会を開く。てっとりばやく金を集める手段としての集会というのもある。そういうのにかぎって、やけに楽しい集会を演出する。表面にこやかなのである。ひとを集めたのではなく、金を集めたのだ。そういう集会が多い。
 ただ集まって、なにかしようよという集会もあるのだが、はじめの意図とはちがって、いざ開くと、なにかへんてこなことになってしまうということがある。複数の人間がまったく同じ意図で、問題なくなにかをやるということは非常にまれなことだろう。
 自己紹介をやらされるというのもいやだし、とにかく「集会」と聞くだけで、なにかいやな気分になってしまう。だが、けっして人間がきらいではないし、知らない人と話をしたい気持ちも、人よりは強い。にもかかわらず、集会がいやなのは、自分の考えがうまく相手に伝わらないからだろう。一対一で話していると、相手の表情などから、こちらの言葉がどのくらいわかってもらえたか見当がつく。だが、集会でしゃべっても、だれがどう理解してくれたのか、さっぱりわからない。ただ言葉をまきちらしただけではないのかという感じがする。しゃべるのは下手だが、文をかかせると面白いというひとはけっこういるもので、そういうひとは、やはりしゃべる言語を主体とした集会というものは苦手だ。 そろそろ「楽しい集会」を提案しなければならないのだが、いままで述べたことがないような集会があれば、それが楽しい集会であろう。参加したい集会ということなら、まず参加人員は自分のすきな人と二人だけというのがいい。それなら楽しい集会になる。三人以上だと、かならずトラブルがおこるので、なにかしら我慢しなければならないところがでてくるので楽しくない。
 もし、なにも我慢しなくていい、自分のこころの命ずるままに行動すればいい、いやむしろ普段の自分よりもこころが解放されるというような集会があれば、よろこんで参加するだろう。                                    集会の対象がこどもということになってくると、さらにわけがわからなくなる。もともとこどもは放っておいても、自分らで集会をひらいているものなのではないのか。ひとりあそび以外は、遊びはすべて集会なのだ。だから、集会も遊びであればいい。となると、参加も自由、不参加も自由、途中でぬけてもかまわないというのがいい。それじゃ集会をする意義がないという声がきこえてきそうだが、意義があるようにするということは、集会に参加したひとが、散会したときになにか有意義なものを持ち帰るということになるのだが、そのことが、やはり主催者の押しつけになるのだ。
 だから、散会したあとなにも残らないというのが、良い集会ということになるのかもしれない。これではやはり集会の否定になりそうだし、まったく困ったものだ。
 みんなで集まって楽しいことをするということがいやな人というのはいないとおもう。それがうまくいかないのは、われわれが文明人だからではないだろうか。漠然とだが、昔の村祭りのようなものに、その村の一員として参加したいというきがする。が、過去にもなになに村というようなものが作られてきてはいるが、おおくは一瞬の花火のようなもので終わっている。集団の活動も生き物のようにやがては死滅する。だから、花火でいいのだという覚悟が必要だろう。
「楽しい集会」というのは、永遠に手のとどかない星のようなものかもしれない。だから夢のなかで参加する以外にないのかもしれないのだが、夢にあらわれる集会というものは、いつも恐ろしい集会で、ほうほうのていで逃げ出して目が覚めることがおおい。やっぱり、集会はいやだねということになりそうで、こまったものだ。(1988)


「子どもと読書」1987・12/嘯P96
わたしがもらったファンレター
 まえに、読者から、あしたの日記や、うそ新聞を募集したことがあるので、ファンレターよりも、そっちのほうが数が多い。その内容はさまざまで実におもしろいのだが、べつの機会にゆずる。手紙の内容としては、どこそこがおもしろかったというのがほとんどだ。最近もらった手紙には「先生の本は泣いているひとも笑ってしまう読むくすりのようなもの」と書いてあった。これで、こどもにとって、面白いということがどういうことなのか、わかるとおもう。
「シカクだいおうとハナクソ・マルメル」という本を出す時、ハナクソにクレームがついた。それは大人の感覚だ。出版したあと、読者の母親から、息子がいつもはなくそをほじくっているのでしかってばかりいたが、そのために息子ははなくそをほじくるのが、とても悪いことなのだとおもってしまい、こころの負担となっていたようなのだが、この本を読んでから、親子ともどもすっきりしたというような手紙をいただいた。       
「はれときどきぶた」に関してのある手紙を要約してみると、「息子が日記を書き続け、成長を見せたのは指導なさった担任の先生のおかげなのですが、『はれときどきぶた』の影響もあるようです。この本は日記の宿題で苦労している息子のために私が選んだのですが、『さすがお母さん、いい本選んでくれたねー。』と子供達もよろこびました。はずかしがりやの息子が、秘密であるおねしょのことを日記にかいたのですから、わたしは驚きました。」とあり、こどもの手紙には「本のなかで、日記にはほんとうのことを書きなさいと教えてくれたから、おねしょのことは書きたくなかったけど、ほんとうのことを書きました。」とあった。
 その日記のコピーをここにうつしてみる。はじめは、その日記を担任の先生が読んだときのもの。「はずかしくてたまらない。一時間目チョークがみんな短くなったので、おもしろい日記を読むことになりました。先生がいきなり『〇〇くんの日記を読んであげるから』といいました。おねしょぶたも読まれたし、ほかにもたくさん読まれました。ぼくは顔をまっかにして聞きました。その時はとてもはずかしかったです。おねしょしてるのぼくだけかな?先生みんなに聞いてみて。」
 これには先生のコメントがついていて「おねしょのことは、そこのところを先生はぬかして読んであげたでしょ。そこまで読んだら〇〇君がかわいそうだし、もう日記を書かなくなるのではと思い、ぬかしました。」
 肝心のおねしょ日記はつぎのとおり。「十一月二十二日 そつぎょう もう、ぼくはそつぎょうしました。何をそつぎょうしたかというと、ねしょんべん学年をそつぎょうできそうです。でも、ちょっと心配です。
 そのわけは、ぼくのねしょんべんは、天気ととても関係があるからです。
一、雨の日はぼくも雨 二、晴れの日はぼくも晴れ 三、くもりの日はチビルだけ
 でも、晴れの日におしっこするとお母さんは、「おてんとうさんが早くふとんもっておいでといっているよ。」といってよろこびます。だけど、早くそつぎょうしたいなあと思います。」
 この日記の最後には、先生が小さな卒業証書を書いてくれてある。「そつぎょうしょうしょ 右の者はねしょんべん学年をそつぎょうしたことをしょうする」年月日も形式どおり、ちゃんとはんこもおしてある。ほんとうは、コピーをそのままお見せしたいが、それは手紙をもらった作者だけの特権です。すばらしいドラマを見せてもらうこともあるのです。(1987)


「教育研究」昭和63年5月号・風紋 1988/3/22
いらぬおせっかい教育        矢玉四郎

 教育という言葉を聞くたびに、どこかうさんくさい感じをうける。いったいどんな人間にしたてあげたくて、教育をするのか、そこのところが、さっぱりつかめない。それを論ずることが、タブーになってしまっているのではないか。
「いったいなんのために、こどもをしばりつけて、教育をするのですか。ほっときゃいいでしょう。そうすれば、みんな気楽に生きていけるでしょう」と、いいたくなるのである。  
  今の日本では、どの世界でも、肝心なことは放っておいて、どうでもいいことばかりぐだぐだいっている。政治家などもそうだが、教育界には特にそういう感じをうける。
 いらぬおせっかいはやめて、放っておくということを、教育の方法として、はっきり認識するのがよい。
 ところが、それを先生にやらせるだけの度量が、いまの日本人にはない。それどころか、ますます度量が小さくなっていっている。
 まず、よけいなことをやめろ。たとえば、入学試験の願書を学校でまとめて提出するなどということをやめろ。そのために自分で提出する権利をうばって平気でいるのが教育者か。あげくのはて、本人の希望とちがう学校に提出したりする事故をおこしたりしている。
 学校に行くのは、本人の意志であるということを、周囲も、本人もはっきり胸にきざむこと、これがまず初めの一歩だ。その機会をうばっておいて、なにを学ばせるつもりなのか。ねぼけているとしかおもえない。
 同時に、内申書という陰険な脅迫状もやめるべきだ。前の学校で×をつけられたものにも、新しいスタート台にたたせてやるのが教育ではないのか。
 教育界にはおかしなことがおおすぎて、頭がいたくなる。
 現場の先生方には、「どうでもいいことは、どうでもいい」という精神で、もっとずぶとく、もっとずぼらになってほしい。そうすれば、おたがいに気が楽になる。
 商売をやっているひとなどは、少々ひとにぶつくさいわれても、にこにこしているだけの、精神力と、相手の機嫌をなおさせるテクニックを身につけている。そして結局は自分の信念を生かすことができる。
 学校を出た若者が、そういう力を身につけるまでに、実社会でものすごい苦労をする。ほんとうは、そういう力をつけてやるのが学校の役目であるはずなのに、きょうも、あしたも、くだらない知識をつめこんで、人生をむなしいものにしようとしている。
 おもったことをストレートに表現するのが私の役目なので、ぶりぶりおこりながら書きました。読むひとも、かんかんになっておこったほうがいいでしょう。日本人はへらへらしすぎるのだから。
 だが、主役であるこどもたちがおこらなければ、この先なにも改善されないのだろう。
 バイクの三ない運動なんて、すぐやめてくれ。憲法違反だ。へなちょこな人間ばかりつくって、日本はどうなるのかねえ。
(1988)


核兵器ならぬ拡声器も廃絶(1980ねんだいか?)調査中)
        矢玉四郎(作家・画家)
 ハンドスピーカーというのだろうか、手にもって使う拡声器がある。緊急時以外は、こんなものはいらないとおもう。
 ある朝、家にいると、けたたましい声がきこえてきた。買い物に行って、その音の源がわかった。保育園で運動会をやっていた。といっても、その保育園は二、三才児ばかりの、こじんまりとしたところで、運動会といっても、猫の額のような庭で十人ばかりの小さな子を遊ばせているだけで、先生と園児の距離は五メートルもはなれることができない状態なのだ。当然園児は先生の足元に寄ってくる。その子供に拡声器をむけて、歌をうたったり、掛け声をかけたりしていたのだ。
 多分、この先生の頭には、運動会とスピーカーは一体のものとして刷り込まれているのだろう。スピーカーのけたたましい音がなければ、運動会の気分にならないのだろう。
 何年も前のことだが、ある団体のキャンプに参加したときにも、スピーカーおばさんがいた。野外で小学生がグループにわかれて、料理を作っているあいだ、「ほら、あぶないわよ。包丁はしっかりもって。」とか、こまごました注意を、二,三メートルの距離から、スピーカーごしに与え、命令しつづけていた。さすがに夜の反省会では「スピーカーは必要ないね。」という声が出たが。スピーカーおばさんにとっては、スピーカーでどなることが、快感だったのだろう。
 学校の運動場に向けてとりつけられているスピーカーもそうだが、遠くまで音をとどかせるためなのか、キンキンした刺激的な音質だ。やさしく温かい言葉をかける道具ではない。むしろ、恫喝するための武器として有効な道具だ。 事件もののドラマで、たてこもる犯人にむかって警察がスピーカーで説得にあたるシーンをよく見かけるが、結局それでは犯人は納得せず、そばに行って肉声で話しかけることによって事件が解決することになることが多いようにおもう。実際の事件ではどうなのだろう。
 この拡声器は、相手の声は聞かずに一方的に命令するための道具なのだが、工事現場などでの使用以外には、大体教育現場で使用されている。学校の備品として購入されているのだが、拡声器を使う必然性を根本から考えなおすことによって、教育の一面が見えてくるようにおもう。わたしは拡声器の声で命令もお願いも説得もされたくない。ほかの人がそうされているのも見たくない。極めて神経にさわる。だれでもそうではないだろうか。電気を使わないメガホンとはかなりちがう。


季刊「ぱろる」創刊準備号 子供の本に思うこと1995                                             矢玉四郎(童話作家)
 私が子供の本にかかわるようになって、20年たった。20歳台後半にはいちおうまんが家として生活していたのだが、たまたま「少年マガジン」に連載をすることになり、子供むけのまんがをかくようになったのだが、そのときの悩みというのは、大人まんがであれば自分が頭を使って考えだしたことを、そのまま発表すればよかった。が、読者が子供だということになると、ちょっと待てよ、こんなことをかいてもわからないのではないかとか、こんなものを子供に見せてもいいのかという疑問がわいてくるのだ。
 これが私が子供だったころ、昭和30年代までのまんがであれば、大人ものといえば、おもしろくもない絵解きの政治漫画か、子供の目にはふれない雑誌のエロ漫画、と相場がきまっていた。サザエさんのようなほのぼのしたものはあったにしても、それぞれ棲み分けができていた。
 ところが、子供のための雑誌であったはずの「少年マガジン」「少年サンデー」といった本を大人が読むようになったために、児童館に大人が入ってきて乱交パーティーをするというような状況になってしまったのだ。私のようなまともな人間のいる場所ではないと判断して生活も顧みずまんが家をやめた。その後にまんが界は経済的なパイも大きくなり、実験的なまんがまでもが受け入れられるようになったので、ちょいと先を急ぎすぎたといえなくもないのだが。                              その後、絵本をかくようになったのだが、その理由は、まず絵本はまんがよりも紙がいい、大きさも自由、色も使える、どぎつい表現をしなくてもいいというようなことがいたく気に入ったからだった。いまならまんがでもできることなのだが、当時は無理だった。その絵本のお手本は、外国の絵本だった。有名なイレストレーターが子供むけの絵本をかいていたり、まんが的な軽いタッチの絵本もあり、ここが自分の仕事場だとおもった。
 ところが、いざ始めてみると、まったく食えない業界だった。私が出版という仕事ですきなのは、コネなし,カネなしの若者がチャンスをつかむことができるという、ざっくばらんなところだ。他の業界ではそうはいかない。おまけに、金だけでは動いていない、思想とか、ロマンとか、夢とか、美とか、わけのわからないものを評価されて動いているようなところもある。だが、逆にこれが曲者で、すっきりしない。どうも混乱している。出版のなかでも、児童書だけは別扱いになっているというところもうさんくさい。
 よく絵本は子供だけのものではない、大人のための絵本があってもよいとかいう意見をきく、しかしそれは子供の本をつくることに誇りをもっていない者のいいぐさだ。書店には実際にそういうねらいで出された本も並んでいる。しかし、子供にとっては迷惑なことだ。子供が遊んでいるおもちゃを、おもしろそうだからといって、大人がとりあげてしまうようなものだ。絵本はあくまで子供の読者にむけてつくるということを、はっきりさせておく必要がある。大人むけにつくりたければ、絵本という名前を使うな。大人は子供の絵本がおもしろければ、子供にことわって見せてもらうという態度をつらぬくべきだ。  いま書店にならんでいるしかけ絵本などを見ると、幼児むけであって、小学生むけではないということを考慮しても、どうも安易に流れているような気がする。それにひきかえ、私が子供だったころの「少年クラブ」などの付録についていた紙の工作物には、作者の情熱が感じられる。いまは見ることもできないので、子供のころの記憶にたよるだけだが、現在の学研の学習誌の付録、まあこれもよく考えられているのだが、当時のものは、そのほとんどが紙でつくられていた。船だろうが、飛行機だろうが、すべて紙に印刷されてあり、型抜きされていて、プラモデルの紙バージョンとでも考えていただくとわかりやすいが、読者はそれぞれの部品をきりぬいて、番号をあわせて組み立てていくと、戦艦大和ができたりする。この付録を毎月考えだして、つくっていた大人がいたわけだ。どうだまいったか、今月はすごいだろう、ちゃんとつくれよと、挑戦をうけているような気がしたものだ。現存するものならぜひとも一目見てみたい。
 子供むけのものだから、この程度でいいやというような考えのひとは、とっとと子供の本の世界から出ていってもらいたい。私はエッセイストなどというインチキ売文屋とはちがうので、ちまちままとめるのがにがてで、あちこち飛んで、めちゃくちゃな文になったが、これで創刊準備ができるだろう。めでたし、めでたし。(1995)


★子供の権利条約に寄稿した文(なんだかわすれた)

どろあそびをする能力をなくした大人 1997           矢玉四郎

 子供だった経験のない人間など、ひとりもいない。だが、幼児のときからすでに、五才児は四才の時の自己を否定し、「もう、あんな子供ではない。少し大人になったんだ。」と考え、一段上に上がったとたんに、今まで自分のいた下の段をばかにする。そうやって人は成長してきたために、大人になったとき、すっかり子供時代のことを忘れている。子供のとき、いやな大人を見て、わたしはあんな人間にはならないぞと、おもうのだが、なんのことはない、ほとんどの人が「あんな人間」になるのだ。
 人類は歴史上経験したことのない高度な情報社会に突入した。子供たちが知りたくもない情報が、どしゃぶりの雨のように子供の頭脳を襲っている。昔の大人たちは、「子供はそんなこと知らなくていいの。」と、過激な情報から子供を守ってきた。そして夢のある明るく楽しい情報で、子供の生きる力をささえることの大切さを知っていた。そのよりどころは、太陽、土、風、水、草木などの自然の恵みを感じつつ得られる人生観や、ごく広い意味での宗教観だ。
 人工物のよろいをまとわなければ、一日も生きてゆけない情けない動物であるところの、今の大人たちは、せこい言葉しか口からはくことができない、子供にたいする重大な犯罪者だ。ひとりひとり、すべての大人が、自分が子供だったときのことを思い出し、どろあそびをする能力を取り戻すならば、希望はある。(1997/8)


鬼ケ島通信  1998/3   25×64
私が作家になったわけ         矢玉四郎

 私は現在児童書の文と絵をかいて収入を得て生活をしていますので、職業は作家・画家ということになっています。一九九七年には、ポプラ社のメカたんていペンチ「カオハギぺろりん」と「パトレ王女ゆうかい」を出版し、小学館の絵本雑誌「おひさま」に六ヶ月連載しました。これで稼げる金は二、三百万円です。文だけだとこの半分になります。年収百五十万円で作家ですというのも情けない。でもせいいっぱいです。
「はれときどきぶた」が一九八〇年に出版されて、そのシリーズが売れているので、生活できるのですが、一年働いた分だけでは生活できません。だからテレビアニメ化を期に職業を、はれぶたを保護育成する「架空養豚業者」と名乗ったりしています。はれぶたちゃんのぬいぐるみ、よくできてますよ。
 いくら収入が少なくても、私は例えば広告関係の仕事やアルバイトなど、生活費を稼ぐための仕事はほとんどやってきませんでした。もともと商業デザイナーだし、プロの漫画家でもあったので、金を稼ぐ道はありましたが、不器用なので一つの仕事しかできないので、一番やりたい仕事だけをやってきました。それで生活できればこんなしあわせはありません。
 私がこの仕事に固執したわけは、自分の世界を創り、発表できるからです。だから、目標としては過去になかったオリジナルなもの、自分にしかできないものを創ることです。どこかでみたようなもの、器用にパクリをやる人は多い。コミック、音楽、テレビドラマなど、パクリだらけで、うまくパクルのがプロということになっている。これは作家ではなくて、業者です。児童書の世界でも作家と名乗っているうちの何割かは売文業者です。また何割かは他に仕事をもっている。先生、主婦、編集者などで、作家でもあるという立場です。絵本作家や、童話作家というものにあこがれるひとは多いが実情が語られてこなかった。新人が修行をしながら、生活ができるようでなければ、いい才能はそだたない。私の場合は例外中の例外といえるだろう。まず、絵が描けたので、乞食をしなくてもカットや漫画で最低食えるという心づもりがあった。私は二十五才で会社員をやめ、即漫画家になり、ちゃんと食えていたが、絵本作家になろうとした途端に食えなくなりました。はれぶたちゃんが助けてくれるまで、乞食同然で、長女が一才の頃は市役所に補助のミルクを貰いにいっていたくらいです。
 漫画は雑誌がたくさんあるので描き飛ばせば稼げますが、絵本は雑誌が少ないうえに、相手が小理屈をいう編集者ばかりだからノウハウをマスターして、コツを掴むまでに時間もかかるし、割り切れない思いをうんざりするほどします。漫画はおもしろい、おもしろくないと、評価が単純ですから、ボツになっても納得がいく。が子供の本は、子供がだめだというのなら納得できるのですが、中間業者がピントはずれなことをいう世界だから、よほどの覚悟がいります。毎日喧嘩腰です。
 この文のテーマとして「私が作家になったわけ」というのを与えられたのだが、私はまだ作家になっていないのではないかという思いがある。今年は絵本作家になりたい。九年前に小学生の子供二人を残して妻が急死したため、ずっと主夫作家だった。やっと下の子の義務教育が終わろうとしている。いま子供の世界はめちゃくちゃですから、親の私もひどい目にあってしまった。
 教育界はこれから壮絶な戦いに入るはずです。主役である子供の反乱がおきているのですから。ところが児童書の世界は子供の現状からワンクッションおかれているために、ぼけている。若い人や新聞社の人にいっておきたい、この世界のえらい先生のいうことを鵜呑みにしてはいけません。着眼点からしてはずれている輩が多い。本ではなく、本を読む子供そのものをよく見ましょう。  (1998/3)                      


「おそい・はやい・ひくい・たかい」no.12 /2001年/ ジャパンマシニスト社
★特集「分数」をおしえられますか?  (学校教師向けの雑誌です)                      

「分からない数だから分数?」原稿に書いたタイトル。森毅さんの文に同じ文句が出るので、削られたようだ。「頭の遊びとして考えてみれば?」になっています。     矢玉四郎
 編集部から頂いたアンケートを読むと、40歳前後の先生と親は、分数について大変良くわかっておられる。先生方のレべルは高い。「分数がわからない」という特集を組む必要はないのではないかと思いました。
「21世紀の日本があぶない/分数ができない大学生」(東洋経済新報社刊)で、問題点はすべて明らかになっています。この本は大学生が分数さえも理解していないので、先へ進んで、数学を究めることができず、日本の産業も成り立たなくなる、その危機感から書かれているため、とりわけ分数がいけにえにされた感があります。
 教育の問題点の一つは、論理的思考ができないことにあります。さらに、現実から離れて抽象的な思考をする楽しみを知らないことです。数学者が喜々として問題を解いているのは、楽しいからです。頭の遊びです。
 私が書いているナンセンスや、ファンタジーが日本では正当に評価されません。創造的思考の産物も奇異なものとして退けられます。これも、冷徹に論理的思考ができず、べたべたした、ワンパターンの情感が、頭脳の働きを邪魔しているからです。
 初等日本語教育がデタラメですから、論理的思考はできません。日本語は主語を省略してしまうので、だらだら文をつづけていくうちに、わけのわからないことを云っていることが多い。作家の文、大学教授の論文でさえそうです。
 山田さんが「りんごは赤い」と云ったとき、中村さんが「青いりんごもある」と云うと、山田さんは「よけいなことをいうな」と、怒る。議論を楽しむ遊び心がなく、感情的になる人が多い。「金のりんご、白いりんご、透明なりんご」頭の中でいろんなりんごを育てることができます。分数も同じことです。頭の体操、遊びと考えて楽しんだらいいでしょう。すぐ金にはなりませんが、人生の役に立たないことはありません。      
  分数はケーキの絵で説明する人が多いようです。太るのがいやな人はピザでもいいが。分数に限らず原理を考えるときは図をかきます。分数自体が図だとおもったらどうですか。2/3は「1(ひとつのもの)を三つに分けたものが二つ」というのはケーキで説明できます。また、2÷3だということも覚えたほうがいいでしょう。
  物理学では   距離    
          −−−−  
         時間 l 速度  

のように原理を図で示します。(図が書けてませんが・・・Tとおもってください。汗タラリ)

距離÷時間=速度  距離÷速度=時間  時間×速度=距離  この三つを一度に表しています。分数の考え方は、こういう応用ができるわけです。
    6
  −−−−
 3   l   2
塾などでこういう書き方をしているところもあるでしょう。便利です。                                    わからない子供には、遊びでじっくり教えれば大丈夫でしょう。分数の割り算だけは、私も意義、必要性がわかりません。頭の遊びと割り切ってしまえば楽です。      
 京都大学の山内正敏教授(数学の専門家)も「うーむ」とうなっていました。分数は簡単に見えて、底知れぬ深さを感じます。簡単に分かったつもりになってはいけないのかもしれません。

★ぶたの蛇足 解説  (2001/10)
分数がわからない大学生というのは、私のことです。一応高校では、上の山内君と机を並べて数3(いまはこう言わないらしい)までやって、工学部を受験しました。が、考えるところあって、大学ではいわゆる「お勉強」はやめました。するとせっかく覚えた公式や、解き方なども見事に忘却のかなたへ。5年後に就職試験に分数の問題が出て、あわてました。図を描いて原理からときおこしているうちに時間が来てしまいました。ちゃんちゃん。

「分数がわからない」とわめいている人たちは、単にいつもやっているので忘れていないというだけの話で、この広い無限の世界の塵芥である人間として、なんの自慢にもならない、ということことがわからない人種だ。その意図を見抜いて議論しましょう。彼等も本当に分数がわかっているのかな?この特集で森毅さんも「本当に分数がわかるやつは日本にはひとりもいない」といっている。


『鬼ケ通信』37号 (児童文学同人誌)
「これからどうなる こどもの本」矢玉四郎(2001)

「これからどうなるこの日本?」というときに、「これからどうなる子供の本?」といわれてもなあ・・・ 
 鬼ケ島通信第36号で、すでに同じようなアンケートをやっている。今、未来予測をすれば編集者三木朗さんの答えに近い。だが、カセットテープ、8ミリ映画、ビデオ、ウォークマン、ゲーム機、銀塩写真機(おお、恐ろしい名前だ。昔ながらのカメラのこと)タイプライター、ワープロ、電話機、アナログテレビなど、その栄枯盛衰をみても、未来予測は当たらない、不可能だ。
 この問いに答えるまえに、子供の本はほんとうに子供の本か?という疑義がある。これをあいまいにしていてはだめだ。
 大人が評価して子供に読ませたい本を、子供の本といってよいのか?子供の本というのなら、まず、大人に隠れてでも子供が読みたい本が一番にくるだろう。それなら、マンガ本になる。          
 近頃、児童書の出版社で公然の秘密となっているのは、子供の本のようなものを読みたがる大人が多いので、そういう人がよろこぶような本を作ると商売になる、ということだ。こうなると、児童のためだからと特別な扱いをうけてきたことと矛盾してくる。
 私は「絵本は子供のもの」という一文を発表している。〔ぱろる10横断する絵本(パロル舎)、ホームページでも読める〕
 子供の本のふりをした、子供が見向きもしないような本がふえつつあることに危機感をいだいたからだ。
「絵本は子供のものという固定観念がある。大人のための絵本があってもいい」とかいう、一見ものわかりのよさそうな発言がある。やめろ、子供が迷惑する。
 子供の本はおもしろい。大人も読んでみようというのならいい。大人が子供の心になれるときだ。
 だが、未成熟な大人が、年齢にふさわしい大人の本を読もうとしないで、とっつきのいい子供の本のようなものを読む、というのが現状だろう。
 本だけではない。アニメ、玩具、遊園地など、本来、大人が子供のために用意したものに、すでに体は大人になっている者が、おもしろそうだと割り込んできた。そして、彼等の要求にそって改築される。(パチンコだって昔は子供のものだったのだ。)           その結果、子供、特に幼児がはじかれる。小学生は背伸びをさせられる。童心などという言葉は死語か。子供らしい、子供だけがもつ美点はつぶされ、大人の嗜好が子供をむしばむ。子供の子供らしさを愛でることのできない、情けない大人が増えたということだ。
 このテーマが「これからどうなる児童文学」ではないことは、児童文学という、わけのわからない言葉自体が、なくなるかもしれないことを暗示している。
 戦後、児童文学界は、敗戦によって日本文化の継承が途切れて、荒れ野となった隙に乗じて、傲慢な押しつけを子供に対してやってきた。
 戦前の子供文化でも、すべてが国家に奉仕するようなものであったというわけではないだろう。子供はいつでも子供であり、特に10歳くらいまでの子供の本来的な特質は、洋の東西を問わず、時代背景を問わない。   一九八〇年代から、一気に子供の問題が吹き出してきた。政治、経済などの現場、実社会では大改革が進行したが、教育の改革がおくれたことで、今日の末期的な症状となっている。教育の下請け的な傾向に堕している児童書界は、思想の吹き溜まりとなっている。すでに日本の思想界も変化しているのに、ゴミのような頭の者が生きのびているのが児童書界だ。
 子供はやがて広い世界へ出ていかなければならない。せまい児童書界の偏った情報など、なんの役にもたたない。むしろ邪魔になる。そのことを、子供自身が本能的に感じたのだ。だから、子供はにげていく、と云えるかもしれない。  
 私は馬の耳に念仏を唱えている僧のような心境だ。南無阿弥陀仏。
「これからどうする出版社の人?」と聞いてみたい。児童書に限らず、出版界はゆれている。「これをやりたいから、何が何でも本にしたい」という思いは薄れ、「これをやっておけば売れるだろう」ということばかりが頭を占めるようになった。
 児童書の編集者の大半は編集作業員になった。作家も下請けの売文業者になった。            「どうなる」ではなく「どうする」を語るべきだ。私の答えは『心のきれはし 教育されちまった悲しみに魂が泣いている』(ポプラ社)に書いた。舟崎克彦氏の『これでいいのか子どもの本!!』(風濤社)にも共感するところ多い。(bk1ぶたの歯ぎしりで過去ログでお薦め本に)


★甲木善久氏の文がインターネット上で公開されていました。矢玉四郎の名前が登場しますので、読者の便のためここに張り付けます。(2002/11/30矢玉)青字は矢玉の突っ込みです。

売れればエライか?   甲木善久   ぱろる8号 1997/12/25

「売れればエライか?」という問いかけの答は、もちろん、いろい ろな条件が作用してイエスともノーともいうことができる。だが、し かし、少なくとも現在の状況に限定していうのなら、やっぱり、売れ ればエライーと答えるしかない。
たとえば。
先日、知り合いの作家H氏と久しぶりにおしゃべりをしていて「そ うそう、そうなんだよねー」と妙にわかり合えちゃったのは、新刊時 評なんかでこの頃の児童書を読んでいると森林に申し訳ないよう な気がしてくる、ということだった。「この本、読んでもらおうと思っ て作っているんだろうか?」というやつが、おそらく、現在出版され ている本の半分はある。それは、どんな本なのかといえば、まず、 装丁がちゃち。おまけに、タイトルがダサい。もう見るからに、子ど も向きの本ってこんなもんだよね、って感じが全体に漂っている。 それでも、仕事だからってんで無理やり読んでみると、だいたい、 内容の煮詰め方が足りなくて、文章のそこかしこから作者の独り 善がりがにじみ出ていて、物語としてスカスカでも、テーマ設定さえ 出来てれば児童書はそれでいいのだ、ってのが見え見えなので ある。
確かに、こういう本でもセットの中に放り込んでしまえば、学校図 書館は購入してくれるかもしれない。さらに(恐ろしいことだが)場 合によると、教育県の推薦なんかもらっちゃってバッチリ各学校に 行き渡ったりすることもあるだろう。
が、しかし、だ。
子どもにだって審美眼はある。そんな本は、感想文を書くために その年は幾人かに借りられたにしても、その後は白い貸出カード を抱いたまま、廃棄処分となる日を長々と待ち続けていくことにな るのは想像に難くない。
本は読まれてこそ華。読まれなければ、只の汚れた紙の束なの だ。読まれない本など、その存在自体が自然破壊といっても過言 ではない。もちろん、読まれようが読まれまいが、紙を使い、イン クを使い、エネルギーを消費して本を作る作業は同じである。した がって、自然環境に対する負担に差があるわけはなく、むしろ、売 れる本を作ってしまう方が罪は深いということはわかる。
けれど。これは、知り合いのI氏の名言だが、人間にとって究極の自然保 護は死しかない。生きていくということ-現代では経済活動をする こと-は、否応もなく、自然環境や天然資源に負担をかけることに 他ならないのである。ならば、同じ罪を背負うにせよ、食べるため に魚を捕ることと、殺すためだけに捕ることと、どちらに理がある のか、いうまでもないではないか。
一生のうち一度くらいは本を出したい、というのなら自費出版で 数百部を刷り、友人知人の迷惑も顧みず配りまくればよい。子ど も達はこういうことを知り、考えるべきである、と思うのなら、教師 にでもなればよかろう。児童書といえども、作っているのは商品な のだ。商品を作り、それを売り、金銭を得るのなら、まず、それが 手に取ってもらえるよう、そして、商品として使用に耐える(喜んで 読んでくれる)よう、作り手として心を砕くのが資本主義の最低のモ ラルだと思う。
さらに、いえば。
各地方自治体の予算によって成り立つ、学校図書館という名の 倉庫に収まるためだけに、書かれ、作られ、売られる駄本の存立 構造と、土建国家のシステムの中で今日も掘ったり埋めたりがくり 返されている道路工事や河川の治水工事のあり方とは、僕には 同じに見える。そこで動く金額のケタ以外に、どこが違うのか誰か 教えてほしいもんである。

そうだ。イヤな風景を思い出した。
一○年ほど前の話だが、子どもの読書運動を推進する某団体(某団体ではわかりません)の 全国大会での体験だ。その当時僕は、ほんの数年だけそこの会 員だったのだが、百数十名の熱心な会員が集まったシンポジウ ムの席上、Aという児童文学者が「はれときどきぶた」(矢玉四郎・ 作/岩崎書店)を槍玉に挙げて、「あんな売らんかなの本を出版す るから、子どもの本がダメになるのだ」といった主旨の発言をな さったのだ。彼は、義憤に駆られたといった様子で、それが正論 であることに毛筋ほどの疑いも持たなかったのではないかと思う。 いや、そうでなければ、商業出版を行っている自分が、そうした発 言をするという行為の意味に気づかないはずはない。(Aって、珍しい名前だ。そんな人いた?
「売らんかな」なのである。売ろうと思って売れるなら、何も苦労はない。売ろうと思っても売 れないから、商品内容に、パッケージに、価格設定に、広告に、 みんな智恵を絞るのである。
また、商品を作る以上、売ろうとするのは当然だ。そうでなけれ ば、経営は立ち行かないのである。作品を出版社に持ち込み、商 業出版のルートに乗せるということは、売ることを前提として自ら の表現を社会にアピールするということに他ならない。そのことを わきまえずに「売らんかな」を批判する作家など、自腹を切って私 家版でも作っていればいいのである。

本づくりは、情熱や人情の世界である。このことは実感として、 僕にもわかる。ギャラの多い少ないによって書く内容が変わること はないし、むしろ、そんな器用なことのできる作家がいたら会って みたいくらいである。(みなさんけっこう器用です)それよりも、作品に影響を与えるのは、担当 者との信頼関係だ。(ホント)熱心でマメな担当者だと、作家も優先順位を 上げるだろうし、その結果、良いものが仕上がることは多かろう。 だが、それすらも、間違いなく資本主義の原理によって裏付けら れているのだ。
そう、その担当者が初対面で渡してくれた名刺も、打ち合わせに 使った時間も、かけてくる電話の代金も、また、本づくりに関わる ありとあらゆる経費は、その人の所属する出版社の経営から支 出されたのである。
時折、信頼関係を築いた担当者が会社を替わったからといっ て、過去の作品にさかのぼって本を遷してしまう著者の話を聞く が、あれもかなり勘違いなのではないかと思う。品切れ状態で放 置してあるとか、売り方が悪いとか、その出版社のやり方と折り合 いがつかなければ、版を遷すのは妥当だろう。あるいは、次の作 品から出版社を替える、というのも人情としてはよくわかる。が、こ れまで通りに売っている過去の作品に手を付けようとするのは、 商業出版の原則を逸するものだ。例えば、フリーランスの編集者 との仕事でA社から本を出し、後に彼がA社と疎遠になりB社と仕 事をするようになったからといって、版権を遷すことがあるだろう か? もちろん、そんな話は聞いたことがない。はあ〜。(これはちがいます。いろいろあるんです。動かしたくないんですけど・・作家は作家扱いされていない。絶版のままでほっておかれたら作家は死ぬしかない。)
とはいえ。
こういう潔癖な感覚を持っているのは、おおむねマイナーな作家 だけである。メジャーになればなるほど、そんなことはいっていら れない。だって、メジャーになるということは社会的影響力が増す ということで、そんな言動をしちゃったら、その出版社に限らず、他 の出版社も見てるから、「ああ、そういう感覚の人なんだ」という風 評が立っわけね。すると、次の仕事がやりにくい。(ホント、やりにくいです。)それを割り引い てもなお魅力的なスゴイ作品をバンバン出しているならいざ知ら ず、他人様のお金で自分の表現を世に送り出し、他人様に買って もらうことで生きているのなら、コトの本質を考えるしかないじゃな い。そうして、あぶり出すょうに、作家は自分が表現するということ を突きつけられてしまうのだ。
たぶん、だからなのだろう。
今回の特集に寄稿して下さった作家・翻訳者の方々の文章を拝 見すると、その、表現するということへの情熱に胸を打たれる。そ して、それは、とりもなおさず、読んでくれる人へ真摯に向かう姿 勢なのだ。
また、編集に携わった方々の文章を拝見するとき、そこに「この 作品をしっかり読者へ届けたい。そういう本を作りたい」という共 通の想いを発見する。それは、営業成績云々といった問題でな く、「私」が惚れた作品を一人一人の読者の許へ届ける-手をかけ て本を作り出す、というやはり情熱なのである。(そんな人少なくなりました。)
こうした諸兄姉の情熱が本に照り返し、たまたま結果として、売 れた。情熱があれば売れるというものではもちろんないが、少なく とも、読者へと真摯に向かうことがなければ売れることはないのだ ろう。
だから、今。売れればエライ!のだ。売れ続けることは、もっとエライのだ。 そうして資本が蓄積され、次の表現の下地を作り、新たな本が 世に出され、再び読者へと還元される。売れている本があるから こそ、実験もまたできるのだということを忘れてはならない。(そういう雑誌に「ぱろる」(わたし)はなりたい。)
(

 童美連子供の本の絵かきの集まり 童美連 がむかしからの月刊絵本の四月号を集めた「月刊保育絵本クロニクル」を発刊しました。おじちゃんも、おばちゃんも、保育園や幼稚園で読んだ絵本を思い出してみて。

★絵本といえば、まず幼稚園や保育園でもらった(親が買った)チャイルドやキンダーブックだろう。ところが、児童文学、絵本研究界では、あまり研究されていない。

月刊絵本にはいろんな種類のものがあり、仏教系の絵本もある。時代の風に吹き飛ばされそうになることもある。昭和17年には「キンダーブック」が「ミクニノコドモ」(御国の子供)となる。戦後直ちに元にもどるのだが・・
昭和19年の絵本にはガスマスク(防毒面といっていた)をつけた子供の絵がある。昭和9年ごろから軍人がちょくちょく出てくる。絵描きは時代がどうあろうと、絵をかくのが仕事である。それを職業とし、それで家族を養っている。
戦後左翼思想が力をもったときに、漫画や絵本もその影響を受けた。「のらくろ一等兵」をかいていた田河水泡は多分非難されたのだろう。手塚治は若かったので戦後からの出発となり、上の実力者がいなくなったところで、いい目を見たと言えるかもしれない。ゲゲゲの鬼太郎の水木しげるは軍隊帰りで戦後の出発となり60年後の現在もかいている。漫画史も検証が不十分だが、絵本は学問的な研究が遅れている。「絵」と「子供」の両方がわかる人は少ないし、とても難しい。
この本が現役の絵本画家の手によって出版されたということは、極めて重要です。本来なら別冊太陽の平凡社などの出版社がやるべきことなのだが・・・
忘れられていたのは「絵本を読む、見る、子供の心」です。
出版記念パーティーでお会いした鳥越信聖和大学教授は最近は保育絵本の研究をされるようになり、大学院で学問的に研究をされている。過去の児童文学論を克服し、未来につなげる真に学術的な成果をあげられることを願う。学生諸氏も教官を超える志をもっていただきたい。松居直会長は韓国はじめアジアの絵本の紹介に力を尽くされている。言語など日本の文化崩壊現象には悲観的になりがちだが、日本の絵本のこれからには、楽しみがあると思う。これから生まれてくる読者の子供のためにも、ぜひそうであってほしい。(2005/3/18)
★3月29日毎日新聞朝刊に「月刊保育絵本クロニクル」の記事が大きく出てていますので、御覧ください。


読売新聞 2003/9/22 本よみうり堂

ロングセラー散歩

矢玉四郎作・絵『はれときどきぶた』

◆自分の考え伝えなきゃ

 幼いころ、近所の豚小屋はお気に入りの遊び場でした。豚は身近な存在。そんな豚が空に? この不思議な組み合わせに想像力をかきたてられ、わくわくしながら読みました。

 主人公の小学3年生、則安(のりやす)くんはある日、お母さんが自分の絵日記をのぞいているのを発見。そこで、翌日起こることを想像して書く「あしたの日記」をつけることにしました。

 お母さんが作った「えんぴつの天ぷら」をお父さんがおいしそうに食べる、金魚が家中を飛び回る……書いたことが本当に起こるので、両親が芝居をしていると思った則安くん。知恵をしぼって書いたのが、あしたの午後、豚が降るという日記。

 あとがきで作者は、読者の子どもたちにも「あしたの日記」を勧(すす)めます。「自分の感じたこと、考えたことはちゃんといえるようにならなくちゃいけない」。色々なことを考えられる頭を――こんな深い狙(ねら)いがあったとは。小学生の時は気付きませんでした。(岩崎書店=1100円)(碧)

★読売新聞 2003/9/22「無断転載しました。(碧)さん、かんべんしてちょ。子供読者が大人になってから書いた書評なので貴重な資料です。


●平成15年3月記

★「ぶたの遠吠え」に過去雑誌に寄稿した文を追加した。あらためて八十年代の文を自分で読み直した。「はれぶた」研究はほとんど、なされていないが、「子どもの文化」1987年11月号が、「ズッコケ」「はれぶた」を特集している。私のインタピューもあるし、子供の声ものせられている。が、手に入りにくい雑誌だ。(記事関係者のひとり藤田のぼる氏には転載の許可をいただいたので、いずれ・・・15/6/30)
編集後記の文 「『はれときどきぶた』を読んだ子どもたち(ママ)の「あのひとは、ぼくたちのこと、よくわかってるよ」といった感想が印象的であった。」
当時この記述に作者自身はげまされ、また身の引き締まるおもいだった。その子供がいま二十歳台の青年となり、昨日もその一人と仕事で接触した。彼のメールから・・

「小学生の頃から矢玉先生の本が大好きで、先日は、一ファンとしても、本当に得がたい時間となりました。
「はれときどきぶた」や、「まんだくんとマンガキン」はしょっちゅう読んでいましたし、図書館でも人気作品でした。
並んでいるほかの児童書とはかなり異質なもので、小さいながらも、なんで図書館にあるのに漫画みたいに面白いんだろう、と不思議に思っていたことをおぼえています。
今は生涯教育を専攻する学生です。ホームページでの先生の御意見、じっくり読ませていただきます。
取材で民間の教育者、芸術家などに会う機会が多いのですが、いま非常に多くの人が教育への危機感を訴え、議論が熱くなっているのを感じます。」


bk1で連載したコラムぶたの歯ぎしり (若気の至りでしゃべってますが、冷や汗ものです。一応置いておきます。読まなくていいです。(/..U)(2012/10)
 


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