ぶたごやへかえる

絵本論・子供論
心のきれはしきれはし

●西暦2000年ごろに書いたものですが、10年たって子供状況は良くなったのでしょうか?仏教を学びましたので、さらに思考をすすめたい。[2012(平成24年)/9/17 敬老の日]

●2016年現在、子供に関するいやなニュースが多い。親による乳幼児の虐待など。

心を痛めている人も多いでしょう。なんとかならないのかと無念の思い。

●21世紀にはいっての脳科学の研究成果が良い効果をもたらすようにできるといいのですが。


子供の心がわかるということは、どういうことでしょうか?自分の子供のころのことを、思い出してみるしかありません。忘れているようでも、当時の歌をきいたりすると、突然そのときのことが目の前にうかんできたりします。下に掲載した「絵本は子供のもの」に、和辻哲郎の文ものせてあります。こういう人はすくなくなりました。デタラメな子供論が大半です。くだらない情報にまどわされないで、目の前の子供をしっかりと見ましょう。

子育てでもっとも大事なことは遊びです。遊び、ユーモア、スチャラカチャンを忘れないで。楽しく育てましょう。子供こそ生きることの天才です。 見習いましょう。


●正しい子供論のために

「心のきれはし」の切り落とし原稿

絵本は子供のもの 矢玉四郎

「生まれてくる子供を人間として迎えよう」中村観善氏/赤ちゃんを育てる人参考に。


心のきれはし 教育されちまった悲しみに魂がないている』ポフラ社(絶版)ですが、アマゾンなどで安く買えます。
書いたのに、本にのせられなかった原稿を公開します。
教育と宗教  まんが
●民族と宗教ぬきのヨーグルト
世には、金はいらないから、自分が教えたいことを子供に教えさせてくれ、という人もいるはずだ。これこそ教師というにふさわしい人なのだが、その大部分は宗教者である。 アメリカ人に御指導いただいて作った法律によって、教育と宗教が隔離された。教育の堕落はここにはじまったという見方もできる。宗教ないしは宗教的なものを排除して、人間の生き方を問うことは不可能である。教育人の宗教アレルギーをとりのぞかなければだめだ。少なくとも宗教人の意見を聞くことは、すぐにもできるだろう。
日本人の心はどこにあるのか?なにを考えているのか?私にもよくわからない。外国人にわからないのはあたりまえだという気がする。ひょっとすると、未来のことなどなにも考えていないのかもしれない。いや、未来のことは考えていない。時間軸をたどる視野がせまい。短いというべきか。場当たり的にうまくしのいできたので、長期にわたる展望をする能力がないのではないか。おそろしい国だ。
世界は日本を恐れている。この先なにをするのかわからないからだ。だから、あれやこれやとお節介をやく。妙に力があって、大人付き合いがへたで、自立していない者が黙っていれば、気味がわるいだろう。
だから、君はナイフを使うな。持たしてやるが、短いナイフだぞ。これで人をさしてはだめだぞ。だが、おれたちが正義のためにけんかに行くときは、ナイフを持ってついてこいよ。英語を勉強して我々と話をしてくれ。欲しいものはあるか?金をはらえば石油もやるぞ。君の発明した工作も、よくできているから買ってやろう。おれたちのお手伝いをすれば、頭もなでてやろう。そのかわり、きれて暴れたり、地球という家をこわすのだけはかんべんしてくれといっている。
まるで、大人たちが中学生にいうことと同じだ。教育問題はただちに国際問題であり政治問題である、ということを、もっと重くとらえるべきだ。
国際問題では、民族と宗教を考えることになる。日本では教育を語るのに民族と宗教を教室のそとにおいやっている。こういうことを教えましょうと、教育人の全員一致で賛成したことでも、教室の中では通用しても、廊下にでたとたんに、民族と宗教がつめよってくる。ときには教室に乱入してくる。
国際問題の専門家は、この民族と宗教のあつかいをどうやっているのだろうか?ごまかしたり、おどしたり、なだめたりしてしのぐのがやっとというところかもしれない。
教育を語るのに、民族と宗教のお二人は外で待っててくれ、といいたくなるのはよくわかる。戦前の日本の教育がこのお二人に強迫された記憶がある。教育人はこの五十年間そのことをずっといいつづけてきた。だが、今のように、教育人がまるでこの二人にアレルギーを持って、遠ざけてしまってはだめだ。投票権は与えることができないとしても、話をよく聞くべきだ。それも謙虚に頭をたれて聞くべきなのだ。このお二人は乱暴者のように見えることもあるが、きわめてやさしいおじさんおばさんでもあるのだ。子供のことを心配している。子供の人生を考えているひとたちだ。無視はできない。
外国の教育を見てみると、西洋では文化そのものがキリスト教の影響が濃い。教育にもキリスト教的な考えが反映されているだろう。イスラム文化圏ではイスラム教が、仏教国では仏教の教えが教育されるだろう。社会主義国ではどうだろうか。宗教ではないが国家のイデオロギーという宗教に似たもの、宗教のかわりになるものが頑としてある。教育もその影響下にある。国そのものが特定の宗教とむすびついている国もある。国教である。何千年もの伝統を持つ宗教の教えが、教育のよりどころとなっているのだろう。
日本の教育が混乱するのは、よりどころを奪われたからだ。民族と宗教のお二人は五十年間謹慎させられている。政治に口を出すな、教育にかかわるなといわれてきた。しかし、歴史上そんな国が存在したことがあるのか?
日本の戦後は人類の壮大な実験だった。私達は日本列島という消毒されたシャーレのなかで培養された民族だ。悪玉菌といっしょに先祖から引き継いだ善玉菌まで消毒されてしまった。
民主菌をうえつけられたが、おいしいヨーグルトができたか?一部食えるところもあるが、雑菌がはびこって異臭がする。


●宗教を冷静に考えるための参考書/「日本人はなぜ無宗教なのか」阿萬利麿著(ちくま新書)bk1に批評書いた。

宗教アレルギーを取り除く

矢玉四郎
2001/05/07
評価(★マーク)
★★★★
   政教分離の呪文におかされて、日本人は宗教という言葉さえも口にすることをためらう。およそ人間が生きている限り、広い意味での宗教と無関係ではありえない。
 日本の戦後の思想は宗教をことさら無視してきた欠陥思想だ。これを冷静に検証するために、まず語句の整理をしなければならない。この本では、「自然宗教」と「創唱宗教」の二つに分けてのべている。宗教を考えるときの混乱を未然に防いでくれる。
 わかりやすく書かれているので、お薦めだ。


教育どんぶり  まんがてんこもりの教育どんぶり
学校と軍隊は似ている。誤解をおそれずいえば、学校は軍隊の予備段階でもある。戦後は軍隊が大会社にかわっただけのことである。
ここで一九四七年に制定された教育基本法を見てみよう。私も見たはずなのだが、すっかりわすれている。教育人でなければほとんどわかっていないだろう。勉強しましょう。 第一条(教育の目的)教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
いや、まことに立派な文だ。てんこもりの教育どんぶりだ。だが、この教育どんぶりは学校というレストランの店頭にかざってある作り物のサンプルにすぎない。学校というレストランのコックは、このサンプルを置いたことすら忘れてしまっている。ほこりだらけになっている。プロの自覚があるのなら、サンプルどおりの料理を作れ。作れないのなら、サンプルをもっと貧弱なものに替えよ。
現実の学校を見ると、人格の破壊がおこなわれ、欺瞞と悪意に満ち、個人の価値を無視し、自主的精神に欠けた心身ともに不健康な状態にあるといえなくもない。少なくとも年々増加する登校拒否の者はそういうだろう。
●英語ができても外交はできない
日本人は世界の人々からどう見られているか?こう見られているのなら、こういう教育をするべきだ、と考えて、誤解を解き、意見をいい、正しく行動することのできる人。そういう人になってもらうための教育をする、という観点が極めて弱い。
日本人は日本人論が好きで、しかも日本人の悪口をいいつづけているという指摘があるが、なぜそうなるのか考える。自虐的な教育が悪いという論も盛んだ。
日本人は、明治以来、西欧列強に追いつき、追い越せで、走りまくってきた。戦後はただひたすらアメリカの背中を見ていただけだ。自分の目であたりを見て自分の頭で、どこへ行くかをきめてこなかったのだ。見事にアホになった。
中国が恐ろしい勢いで動いている。このままでは、心棒がぐにゃぐにゃの日本人は、とてもたちうちできなくなるだろう。アホはまだ中国をなめているようだが。
中国だけではない。アジア諸国、アフリカ諸国が目覚めた。手をあげて自分の意見もいえないような日本人ども。はじめから負けている。
英語がしゃべれてもだめだ。まず日本語で格闘することが大切だ。国語教育がデタラメなまま、英語教育などするな。英語をしゃべる小賢しい九官鳥をつくるだけだ。
アメリカの幼稚園に通った人のはなしでは、園児同志で、討論をさせられたそうだ。日本では、子供のけんかでさえ、すぐ大人が止めてしまう。だめだこりゃ。
外交や、経済を考えると、教育者の暗愚なること、あきれるばかりだ。
テレビの放送大学で、日本人と中国人の比較をやっているのを見た。内容は忘れてしまったが、おどろいたことに、その項目にあてはめてみると、私は中国人だった。
道理で日本では浮いてしまうわけだ。中国人の意見も聞いてみましょう。きっと役にたちます。
日本が腐ってしまったから、私は在日日本人として生きる。


●子供はどうすればいいのか
今から、大急ぎで教育のシステムを作りかえたとしても、おそい。そもそも、有効な改革が実現できる保証もない。すくなくとも、いまの生徒にはまにあわない。
では子供はどうすればいいのか。国の与える教育にたよらなければいいのだ。「おまえらに教育されてたまるか」と書いて、絶縁状をたたきつけてやればいい。それしかないだろう。
といっても、ちょっとまて。なにも、おもてだって行動しなくてもよい。自分の心のなかで、絶縁すればいいのだ。いまの教育でも「腐っても鯛」だ。しゃぶるところはしゃぶるがいい。ずるがしこく立ち回るのも、愚直にたてついてみせるのも、自分の好きな道をえらべばよい。あわてることはない。絶縁状の下書きを書くだけでも、ずいぶんとすっきりするだろう。
登校拒否をするものは、十万人以上いる。どんどん増えている。もう流れはとめられない。これは流行だ。文部省もこの点では、感心するほど、ものわかりのよい施策を、次々と打ち出してきている。これは、一応ほめておこう。
もっとも、そうしなければ、文部省はつぶされる。過去に登校拒否した者、その家族、関係した先生などが結集して、登校拒否党とでもいうようなものを結成すれば、数百万の大勢力になる。いじめで命を落とした人の遺影をかかげて、文部省におしかけたら、どうなるだろうか。国会議員も票が欲しければ、ここに目をつけられるとよい。高校生の登校拒否者は数年で有権者となる。
ずる賢いものは、うまく立ち回ろうとするので、よく観察しておきましょう。とても勉強になりますよ。


★児童文学のお勉強
児童文学を志す若者に警告。決してエライ先生の云う事を鵜呑みにしてはいけません。児童文学の世界に十年、二十年、どっぷりつかっていると、どうしても汚れてきます。他の世界でも同じです、狭い流動性のない世界では、水がよどむように、人の心もよどむのです。そうであってはならないのが、童話の世界のはずですね。世間的な大人の世界の論理を超越した世界を描くことこそ、その使命であるべきです。たとえば、私は作詞家として童謡を書きたいとおもったことがあります。ところが、童謡の世界の狭さもおどろくほどです。この三十年くらい、童謡を一般から募集する行事があると、必ず、その審査委員長は中田喜直さんだったのです。童謡を志すひとが、「王様は裸だ」と云えるわけがありません。中田さんの気にいるようにふるまうしかないでしょう。でなければ、世間にうまく発表できないのですから。そんな人があたらしい童謡をつくれるでしょうか?そして、その世界は衰退していく。
児童文学もまた然り。新しい風、新しい水の流れによって、汚れを洗い流し、清流を子供たちに残しましょう。残念ながら、児童書の出版社にその余裕が感じられない。トップも、個々の編集者にも、もっと考えていただきたい。しばしば、夢を抱いて優秀な人材が入ってくるのだが、数年であきれはてて、他の世界へにげていってしまう。若者が踏みとどまって新しい流れをつくらなければ、だめだ。ぜひ古参兵に相談してみて下さい。でも、相談する人をまちがったら、失望だけが返ってきます。あらゆる世界に、表もあれば、裏もある。日当たりにいる人が正しいわけではない。牢獄につながれている人が正しい人だというばあいも、しばしばある。これはすでに、私は「はれときどきぶた」の後書きに書いたことだ。よんでくれたはずだ。歴史に学びましょう。

★読んでほしい本
「これでいいのか子どもの本!!」舟崎克彦・風濤社
「日本児童文学の現代へ」野上暁・パロル舎


.★最近「絵本は子供のもの」というこの論を、まっこうから否定する論が目立つようになった。「絵本学会」の趣旨も、柳田絵本論もそうだ。絵本製作現場の実体を知らない者の絵本論など、あほらしくて読んでいられない。いちいち論破する。彼等が一体どういう意図で絵本論をしているのか、私は理解していないので、これから探る。
絵本の定義についてだが、絵があって文があれば、なんでもかんでも絵本だとしてしまうと誤るだろう。子供という要素を外そうという動きには、断固として反対する。子供をはずしたら、「絵本とはなにか」が、とてつもなくぼやけてしまう。これが絵本だという、ど真ん中の絵本を具体的にしめし、狭義の絵本の定義をきっちりつくるべきで、そこでは「対象は子供」ということをはずすべきではない。これをはずすと、焦点がぼやけて本質を見誤る。学問の体をなさなくなる。
柳田絵本論でもわかるように、レベルがひくすぎるようだから、かんででふくめるように説明しなければだめだろう。おいおいやります。具体的には、下の論にもかいてあるが、実作で示すことが大事だ。ポプラ社の「あいうえほん」はその意図ではじめたのだが・・・(平成13年8月4日)
★マンガ学会ができたのだが、ここには鶴見俊輔?氏もコメントをよせている。私はマンガ家当時、実作者から見ると、わかってないなというおもいをいだいたことがある。呉智英氏など、炯眼の氏が参加しているので、おもしろくなるだろう。絵本学会とダブルところもあるが、呉氏と論争できるレベルを保てるかな。たとえば、絵本学会のフォーラムでの鳥越氏の論のなかに「一五年戦争」という言葉がでてくるが、だれもつっこまなかったのかな?
この言葉の説明は、適当なホームページを許可が出たので紹介する。服部弘蔵の談話室のなかのもの。

いわゆる「十五年戦争」について

   服部弘蔵
 「十五年戦争」なる呼称そのものについて、まず、種種なる論議があるが、私自身はこの種の「名称」 の論議にはあまり興味がない。しかしながら、一応私の見解を述べれば、「十五年戦争」なる呼称は、「満州事変」以後、「太平洋戦争」の終結に至る過程を一括して呼ぶには「便利」であると言えるが、単に「便利」であるというだけで、なんとなく、「満州事変」以後の歴史過程をすべて、一色の単純な過程のように誤認させる危険性があると思われる。
 このような呼称が正当であるならば、林房雄が明治以後の日本近代史を「百年戦争」と呼んだのも、より大きな観点から見れば正当であるということになるだろう。
 もちろん「十五年戦争」論者は、「百年戦争」なる観点は認めないわけだが、この種の論議はいわゆる「目くそ鼻くそを嗤う」類のことでしかない。結論的には、ある意味ではどちらも正当、別の意味ではどちらも不当な言い方なのだ。
 いわゆる「太平洋戦争」なるものを、最近では「アジア・太平洋戦争」と呼ぶべきだなどという論者がいて、いくつかの教科書でも採用されているようだが、この種の新語を発明して、何か立派なことでもしているかのように振る舞っている連中というのは実に不快な連中である。戦後ながらく「太平洋戦争」と言ってきて、それが定着しているのだから、なにもことさら新語を発明する必要などないのだ。現場を混乱させるだけの話である。
(以下ホームページにはさらに記述あり)(服部弘蔵氏の許可済)2001/8

 


●絵本は子供のもの(抜粋し、改変)1999ぱろる10横断する絵本 (パロル舎)
矢玉四郎
子育てをはじめた親の質問の定番に「どんな絵本を与えたらいいでしょう?」というのがある。 ねこにえさをやるんじゃないのだから、与えるはないでしょう。「絵本の与えかた」という本もあるって?古い本でしょう。子供と絵本をばかにしている。
くだらない絵本論はやめにしてほしい。まず、大人に買わせることをねらって作ったものは除く。マンガと絵本の境界も、すこしきびしくわける。
私はマンガと絵本の双方を経験した。子供マンガを否定はしない。それどころか大好きといってよい。だが、赤木かんこさん、ごちゃまぜにしてのべないでください。絵本がまける。児童書がまける。勝負にならない。
はれときどきぶたが、子供から「マンガよりおもしろい」という評価をいただいたが、まったくの例外だ。
マンガの質はともかく、量は圧倒的で、雑誌で毎週連載されるのだから、媒体としては、かなうわけがない。 いまでこそ「どこでもドア」はだれでも知っているが、私はどらえもんが始まる前に「どこでもでんしゃ」という本を発表している。この件は別の機会にゆずる。
ここでは、絵の多い幼年童話も絵本としてあつかう。武田鉄矢氏は、「はれときどきぶた」を、絵本といって いる。業界とは無関係のひとの感覚だ。ところが、絵が 多いということが、児童文学者にはきにくわないことら
しい。
雑誌「日本児童文学」一九九九年一、二合併号巻頭の
論文「幼年文学−私たちの課題」(林美千代)を引く。
ここでは絵本と幼年文学を別物と分けているが、そのこと自体に問題がある。本として幼年文学が提供されるとき、絵がついていないものをさがすほうがむつかしい。絵があるからなりたっているといえる。
「八十年代は、いい本が出ていないという認識は、一九八五年特集での、古田足日・砂田弘の対談でも一致している。〔主人公のペット化〕〔挿し絵が増えた〕〔八十年代混迷期〕〔閉塞の時代〕〔ストーリーのパターン化〕などの問題がかたられている。」という文がある。

私の本はゴミか?挿絵が多いのはいい本ではないといっているらしい。この文の少し前に数冊の本があげられていて、「『おしいれのぼうけん』(七四年)など、すべてロングセラーとして楽しまれている作品である。」とある。文は古田足日だが、絵は田畑精一が渾身の力をこめて描いている。この本がうけたとすれば、その功績の半分以上は田畑にある。ためしに古田の文だけワープロでうって製本して子供に見せてみればいいだろう。挿絵が多いからよくない本とはどういうことか?
蛇足だが、一九七四年三月に私は「おしいれの中のみこたん」を出している。この原稿はその数年前から福音館にもちこんでいたものを、あかね書房から出していただいたものだ。新しく「はれぶたぶんこ」として出た。
原稿をうけとった編集者は、なんとか子供が手にとって読んでほしいというおもいで、レイアウトをし、画家をえらんで絵を描いてもらう。本作りをする編集者の重要かつ楽しい仕事だ。編集者達よ、自分の仕事に誇りを持っているのなら。黙ってないで、なんとかいうべきだろう。挿絵がふえたからだめな本などと、いわせておいていいのか。
挿絵がないほうがいいというのだから、絵描きたちよ、もう絵をつけるのはやめよ。ここまでこけにされて、まだしっぽをふるバカ犬か。私は自分の文に絵を描いてもらうときには、必ずその画家に面会してお願いしてきた。
絵が多いからだめな本だといわれたら、絵本論なとばかばかしくてやってられるか。言語による論が、絵や、視覚的なものより優れているという愚かで古めかしい考えが、はびこってきたのは、明治以来のアカデミズムによるものであろう。私はこれをバカデミズムとよんでいる。
絵描きは寡黙であり、内省的である。弁論を得意としない。それをいいことに絵についてかってなことをいうひとが多い。美術界にもうようよいる。そのうえ子供の本の絵描きとなると、あまく見られる。
漢字を見てもわかるように、字の元は絵だ。文明史の教養があれば、視覚的なものの重要性を意識する。福沢輸吉が新聞で漫画家北沢楽天を重用したのもその例だ。
絵、マンガ、アニメ、映画などは、文よりもはるかに強力な影響力を大衆にあたえる。あのドイツのヒットラーもそのことをよく知っていた。ナチのかぎ十字のマークは傑作中の傑作といえる。毛沢東にしてもそうだ。およそ政治家や企業の指導者で、視覚的なものに無関心なものなどいないだろう。
絵本はいつの時代もプロパガンダの道具として使われる危険性をはらんでいる。戦後もジドウブンガクの道具として、おとしめられた存在でしかなかった。
「よい絵本」は、子供を教化する道具として、ある人々にとっての、「都合のよい絵本」でしかない。
国際児童図書評議会で、美智子皇后は、大会のテーマである「子供の本を通じての平和」について、「児童文学と平和とは、必ずしも直線的に結びついているものではないでしょう。又、云うまでもなく、一冊、又は数冊の本が、平和への扉を開ける鍵であるというようなことも、あり得ません。」といわれた。
いままで児童文学批評において、これだけの燐とした言葉を聞くことがあっただろうか。
三人の子達の母でもある美智子皇后の卓見を、子供の本を作るものとしては真摯にうけとめたい。おごりをいましめなければならない。
もっともおおきな問題は、絵本に関係するひとが、かならずしも子供を理解しているひとではないということだ。それは絵本を作るところから、子供の心にとどくまでのすべての段階でいうことができる。
絵本は教科書にもなれるし、おもちゃにもなれる。宣伝パンフレットにもなれるし、脅迫状にもなれる。
子供の内面を理解しないものが、絵本の紹介をするとどういうことになるか。
児童書の業界は三十年まえの頭のままでいるひとばかりだから、ミニ講座をやる。「岩波・朝日文化人が機能しなくなった」とは朝日新聞の記事にもなっているほどの現代用語の基礎知識だ。岩波文庫の古典は私も愛読ししているが、新書や古い児童文学論でお勉強してしまった不幸な方々は、絵本をたのしめないだろう。
大人は子供のことがわかるか。「銀の匙」中勘助(岩波文庫)のあとがきの和辻哲郎の文を読んでください。私がこの本を知ったのは、「はれぶた」を読んだ中年の女性の読者から「銀の匙を読んだときのような感動をうけた」と、共通点を指摘されたからだ。
世の中にはおそろしい読者がいる。文化人よおごるでない。権威といえばそこらあたりのひとよりも和辻のほうが岩波信者にはずっとありがたい権威だろう。
抜粋する。
[『銀の匙』には不思議なほどあざやかに子供の世界が描かれている。しかもそれは大人の見た子供の世界でもなければ、また大人の体験の内に回想せられた子供時代の記憶というごときのものでもない。それはまさしく子供の体験した子供の世界である。子供の体験を子供の体験としてこれほど真実に描きうる人は、(漱石の語を借りて言えば)、実際他に「見たことがない」。大人は通例子供時代のことを記憶しているつもりでいるが、実は子供として子供の立場で感じたことを忘れ去っているのである。大人が子供をしかる時などには、しばしば彼がいかに子供の心に対して無理解であるかを暴露している。そういう大人にとっては、人の背におぶさっているような幼い子供の心の細かい陰影の描写などは、実際驚嘆に値する。ああいうことは、大人の複雑な心理を描くよりもよほど困難なのである。こうなると描かれているのはなるほど子供の世界にすぎないが、しかしその表現しているのは深い人生の神秘だと言わざるを得ない。
昭和十年 和辻哲郎]

死んだひとじゃしょうがないから、生きているひとの本を紹介する。「子ども」という間違った表記について調べていたところ、めずらしく「子供」とある本が目についたので手にとった。
「子供と若者の(異界)」門脇厚司(東洋館出版社)より、あとがきの文を抜粋する。『子供論の書き手のほとんどは教育学者ではない。そんなこともあり、「教育学者の子供知らず」といった見方が一般化しているようである。残念ながら、教育学者の多くは、「そもそも子供は・・・」と前置きしつつ、現代の日本を生きる子供についてではなく、いまなお、ルソーやペスタロッチやデューイやピアジェが見ていた子供について語っているにすぎない。』このひとは筑波大学の教育社会学担当の教授(一九九二年時点)だ。 (ところがこの門脇さんも岩波書店で本にしてもらったとたんに「子ども」としている。ほめて損した。2000年11月矢玉追記)
児童文学界のひとたち、「児童文学者の子供知らず」といわれないように、お勉強しましょうね。子供のミイラを解剖してもだめ。ほら、そこにいる愛香や翔太をよく見てさわって感じましょう。
だれもが間違いやすいことがある。「二十代の若者はこの前まで子供だったのだから、四十代や六十代のひとよりも、子供がわかる、子供の味方だ」という思い込みだ。これは誤りだ。子供は過去の自分を捨て去ることによって成長していく。去年までの子供っぽい自分がいやでしかたがない。脱皮してすこし大人になった自分を認めてほしいのだ。だから、子供を子供あつかいする大人は子供から信用されない。
しばしば若い親による子供の虐待事件がおこるのも、その親自身がついこの前まで子供だったことによる。
一方、ひとは歳をとると子供にかえるといわれる。社会の荒波から一歩ひいたところで、人生を考えるとき、自分の子供時代のことをしきりにおもいだす。同時に、いまの子供たちにもやさしく接することができるようになる。子育てをおわったひとたち、歳をとったひとたち、もっともっと子供について発言をしてください。おせっかいをやきましょう。それをさぼってきたことも子供問題の一因だ。いきなりつっぱり兄ちゃんに声をかけると、ぶんなぐられるが。幼児のときから声をかけていれば、大丈夫なのだ。
絵本を作るとき、選ぶときには、子供に接するきもちで、力をぬいてやるのがいい。権威に盲従してはいけない。権威は裸の王様だ。「王様は裸だ」とさけぶ子供を処刑してはいけない。
絵本は子供のものである。それを説明する。
子供は日本語をおぼえて生まれてくるわけではない。「おぎゃー」というのは日本語ではない。動物の叫びとおなじものだ。
毎日毎日、まわりの大人から日本語で話しかけられているうちに、数年のうちに、日本語の文法や、論理を覚える。言語は、まったく人為的に教えこまれるものだ。 原始人だった赤ん坊が、まわりの大人たちと、おなじ言語を使えるようになると、その社会に受け入れられていく。昔の人は原始人というより、 天からさずかったもの、 神に近いものとしていたようだが・・・。
人類が、火を使い、道具を使い、言語を使うことによって、今日の文明を獲得していったこと。その過程を、子供は数年のうちに、一気に体験する。原始人から、文明人へと変化していく。子供を見れば、人類が長い年月をかけて作り上げてきた文明の、その初期の成り立ちが見える。
言語はもともと文字をもたず、会話によるものだ。音声による言語。口語だ。一歳の子供が、黙って文を書いたら気持ち悪いだろう。五歳くらいまでは、口語をしっかり身につけることが大事 だ。これは、耳と口でする。脳は左脳を使う。
文字がもともと絵だったことから考えても、絵が先なのだ。子供はわれわれの祖先が、絵から文字を作っていったその過程を、なぞっているヒトなのだ。
絵は絵としてあり、言語の下に位置するものではない。絵を描かないひとは、このことを理解していない。ここでいう絵とは、画商の売る絵という物ではなく、イメージとしての絵だ。
なぜ絵本は子供のものか。まだ文がよくわからないからではない。大人よりも絵がよくわかるヒトだからなのだ。これがもっとも重要なポイントだ。
はやりの老人力ではないが、大人が失った力を子供がもっていること。これに気づかないひとは、子供を語るのはやめてもらいたい。子供が迷惑する。絵本を語るのもやめてもらいたい。その資格がない。
ヒトは言語をうまく操れるようになると、ありとあらゆることを、言語で考え、言語で表現しようとする。絵描きや、写真家、デザイナー、ダンサーなどの視覚的なものを追求するひと、音楽家のように聴覚的なものを追求するひと、またスポーツ選手などをのぞいて、一般のひとは、すべてを言語に頼ろうとする。そして、そうでないひとを馬鹿にしてきた。
日本でも、江戸時代までは、絵、音、身体の動きなどに、すぐれた価値を、すべてのひとが見いだしていただろう。逆に文を読み書きするのは、特殊なひとだった。 浮世絵、邦楽、武術などのすぐれた成果を見ればわかる。
明治になって、西洋文明を輸入するのだが、文によるところの学問の比重がまし、古来の芸術などは阻害されることになった。音楽は気持ちのわるい西洋音楽がおしつけられ、美術もパリ直輸入のものに置き換えられた。 いまでも学校の音楽室に、ベートーベンの肖像はあるが、広沢虎造の肖像はない。政府の中枢にいたのは薩長土肥という西日本の田舎育ちの者なのに、なぜか、文化や教育に、日本の古来のものが排斥された。言葉でさえ東京地方語が標準とされた。
古い学者や官僚の文は、やたら漢字をならべたてているが、よく読んでみると、ろくでもない内容でしかないものも多い。むつかしげな文が権威となってきた歴史がある。そんなものをありがたがってきた、アホな日本人よ、いいかげんに目をさましてくれ。
絵本を絵本として、子供といっしょにたのしもうよ、おじいちゃん、おばあちゃんたち。
いままでのまちがったところは、ひとつは西洋かぶれ、いまひとつは右脳を使う視覚的なもを軽視したこと。
絵本のあつかいにも、この二つのまちがいが、随所に見られる。
日本古来のいいかたで「やま」というよりも「山岳」と書いたほうがありがたいと、おもいこまされているおろかなひとびとには、なにをいってもだめだろう。
言葉があらわしているモノやコトを見ないで、こけおどしの言葉にひれふすアホ。なまじ教育など受けるとそうなるのだ。老舗の出版社などにもそういう手合いはいる。
物事の本質をえぐりだして表現するものに、一コマ漫画がある。うまくいけば、長々と文を書くよりも、ばっさりとけさがけに切ることもできる。
絵本にも当然そういう機能はそなわっている。 子供には、古い権威など通用しない。逆に保守的な大人には感じないものを、感じる力がある。にぶい大人には、なにがいいのかわからないところが、絵本にはあるのだ。だから、絵本の批評はむつかしい。言語では語れないものがある。言語偏重でものを考えているひとの絵本評はまのぬけたものでしかない。
絵本を言語によって権威づけをするのはおろかなことだ。なんの色もつけない生の絵本を子供に提供するべきだ。映画や絵を鑑賞するときに、自分の心で見ずに、解説を読んでありがたがるような愚を犯すひとが多いが、絵本にもそれはいえる。ましてへたな解説は百害あって一利なしだ。
絵本業界の閉鎖性は、ひとえに絵本を作るがわの視野の狭さ、自立した思想の弱さによる。
教育や保育の下請け根性で絵本を作っていれば、教育や保育の現場から馬鹿にされるのだということが、わかっていない。
教育や保育の現場は、大半が公務員であり、自由な発想を発表しずらいだろう。自由に思想を巡らすことのできる絵本業界が、新しい提案を絵本という形にして、教育や保育の現場にほうりなげてやればいいのだ。教育や保育の現場ではそれを期待しているはずだ。
具体的には今後発表される絵本を見ていただくしかないが、私個人としても、今年は大変革をする。ふらついていた思想がかなり強固になった。今の子供にどんな絵本を提供できるか、しなければならないか、明確に考えがかたまってきた。絵本という形に仕上げるには、ひともんちゃくあるが、理解してくださる出版社もあり、なんとかやれるとおもう。乞う御期待。
1999年春 矢玉四郎


p://www.medsci.tokushima-u.ac.jp/%7Ekiyou/ft6-1.html
中村観善先生にリンク許可をいただきました。●アクセスできなくなりましたので、このページの下のほうに張り付けてあります。著作権などの問題がありましたらお知らせください。善処します。2001・6矢玉
●過熱する早期教育には首をかしげるが、子供そのものの研究成果には注目。大人の心の安定が第一。
子育てする人、苦労もあり、心配だらけですが、ゆったりした心で楽しみましょう。
子供については、児童臨床家の平井信義さんの本を推薦します。PHP研究所の文庫でたくさん出ていますので、手にはいりやすくなりました。

●以下の文はネット上では消えています。個々の事例の検証は不完全かもしれません。異論もあるでしょう。ですが、今までの思い込みを打ち破って、新しい考えに切り換える過渡期にあることを考えれば、現在どういう問題が俎上にのぼっているのかを知ることは有効です。個々の事例を正しいと鵜呑みにしてはいけません。が、大筋として、流れをつかむ必要がありますので、あえて掲載してあります。たたき台としましょう。中村先生がこれを発表されたかった趣旨はよく理解できます。誤解なきよう。(矢玉)

徳島大医短紀要6,1-18,1996.Bul1Sch Med Sci Univ Tokushima総説

生まれてくる子供を人間として迎えよう

中村 観善

要 旨
西洋医学では新生児は極めて未熟な段階で生まれてくるので人間としての感覚も認識もないものという考えの上に成り立っているが,最近の研究の進歩により新生児は今まで考えられていたよりはるかに発達してから生まれてくることが分かった。五感が十分発達しているばかりでなく,親の表情や気持ちを読みとることができ,母親に愛着を持ち,会えばすぐ認識し嬉しいと思う。誰に話しているかを理解する。このように人問として最も高等な前頭葉前野の機能がすでに発達している。言葉を覚える能力,数十個を一瞬で数える能力は大人はとてもかなわない。従って新生児の扱い方についての根本的な再検討が必要であるが,病院での新生児の扱い方,看護のあり方,母親による赤ちゃんにの扱い方などの改善はまだ殆ど手が付いていない。そこで新生児の発達と新生児の扱いについて検討した。
Key words:母子の絆,新生児,発達,感覚,看護
*徳島大学医療技術短期大学部衛生技術学科 770-8509徳島市蔵本町3丁目18-15

I.はじめに

新生児は感じないし痛みもない。脳は未熟で何も考えられない。自分と他人の区別が無く,母親を必要としないなどと考えられてきたが,誕生の時の記憶をしゃべる子供達により今までの考えが全く間違っていることが明らかになった。

1.何故新生児は未熟と考えられたか
Tabu1a rasa(クブラ・ラサ)とはイギリスのロック(John Lock,1632−1704)が1664年にラテン語の論文で唱えたもので,1954年にEssays on the Law of Nature(自然法論)として発刊された。人間は生まれたときはTabu1a rasa(何も刻みつけられていない滑らかな板;白紙)で経験により観念が書き込まれるという考えである。ロックはデカルト(Rene Descartes,1596−1650)の生得的観念(我,神,思惟,存在,数学の公理など自然の光は生まれつき備わっている)を否定したのであるが,不当にも拡大解釈され,新生児は何も知らないし,感じる能力さえないと理解されたのであろう。

2.心を排除した近代科学
井深大氏によると「デカルトは自分がはっきり説明できることでないと言わないというポリシーを持っていた」。その結果心を「絶対に排除してきたのが近代科学」だという。「デカルトの科学万能的な影響を一番多く受けているのは,心理学と医学」だと言う1)

3.誕生直後の記憶
新生児は産まれたときのことをつぶさに記憶していることが明らかになってきた。2歳の坊やが遊んでいるとき突然「自分の生まれたときについてはわからないことがたくさんある。」といい出した。「ぼくが出てきたとき,どうしてあんなに明るかったの?どうしてあの明かりは円くてあんなにまぶしかったんだろう?他の場所はぼんやりしていたのに。」「あの人たちはどうして顔の下のほうを緑のハンカチで隠してたの?どうしてぼくのお尻の穴に指でさわったの?どうしてぼくの鼻に管を入れてジュルジュル吸ったの?」2)。生まれた時以外手術用の緑のマスクも,無影灯も,吸引器も知らないはずだから誕生の時の観察は詳細で鮮明であることが判る。また,ある女の子はお母さんの大きなお腹を見て次のように話し始めた。「この赤ちやんもママのお腹から出てくるとききたなくなっちゃうのかな,私が病院でママのお腹から出てきたとききたなかったもの」「何かべたべた付いていたの,体じゆう。すご−く気持ちが悪かった。」。色は?と聞くと「白かった」「誰かがバスタプに人れてきれいに洗ってくれた」「ママが抱いてくれた」という。胎脂についての知識もないのに詳しく記憶している。病院から退院したときには「階段を降りて車に乗ったのよ。ママのおひざよ,おうちに着くまでずっと。」と言う。着いてからはと聞くと「ママがかわいいドレスを着せてくれて,私のベッドに入れたの。それで眠ったの。」3)。生まれた時,助産婦の助手が乳を飲ませたが,親にも言わないでおいた。その子が4歳の頃ベビーシッターとして子供に会ったとき「子宮内が薄暗かったこと,産道が窮屈だったこと,生まれた時部屋に誰がいたか」をこまかく知っていたばかりか,身を乗り出すとことさら親しみを込めてささやいたJママがいなかったとき,あたしが泣いたら,おっぱい飲ませてくれたのよね」と言って遊びに行った4)。生まれた時はと聞くと「先生いっぱい」5)という。(研修医がたくさん来ていた)。こんなに詳しく見ているのだから新生児は粗雑に扱えないことがわかる。このような誕生の記憶は特殊なのだろうか。公文母親モニター107名に依頼したところ45通返事が返り,その中で誰一人として覚えていなかった子はいなかった6)。誕生について自らしゃべるのはやっと話せるようになった頃が多い。大人になっても三島由起夫(仮面の告白第1章)のように思い出せる人もいるが123)たいていの人は思い出せない。しかし催眠術で年齢を若い頃に導いていくと思い出すことができる。母親(32−46歳)と大きくなった子ども(9−23歳)10組について調べたところ親子とも全員が誕生の時を記憶しており,親子で一致する項目13.7相違する項目0.9と殆ど一致した7)
4.出生過程の記憶
生まれている最中のことも記憶していることが明らかになった。生まれるとき「ママのお尻で泣いていた」(頭だけ出たとき泣いていた)。生まれるとき苦しかったか聞いてみると「平気だよ」という8)。3歳半の子どもは次のように言う。「母親の悲鳴が聴こえ,自分は一生懸命出ようとしていた。だが窮屈でどうにもならない感じだった。首や喉に何かが巻き付いているようだった。」4)(実際は首に臓帯が巻き付いていた。)。生まれるとき「黒いトンネルグルーと廻って頭から出てきた」と体をくねらせてまねをした6)。生まれるとき回旋することは,母親は知らないのに子供はちゃんと知っている。「おみずがじゃ−と出て,「ぽん」って生まれたんだよ」と破水して羊水が出たことを知っている。さらに吸引して早く出したことを「ポンって生まれた」と表現した6)。「チョキチョキ音がした」と会陰切開の欽の音を覚えている。生まれることは仏教でいう四苦八苦の四苦の一つになっているが,鉗子などの処置をしない限り痛くも苦しくもないという。

5.子官内の記憶
子宮内にいた頃の音楽や言葉をよく覚えているが詳しくは後で述べる。お腹の中の様子を聞いてみると「グニョグニョ泳いでた。ボールみたいに丸くなってた。だんご虫みたいに丸くなってねんねしていた。ママのお腹蹴ったりしてた。逆立ちしてた。チャポチャポ泳いでた。暗かった。トントンの音がした。ゴンゴンゴンゴンって音がしてた。一人で広い部屋に住んでいた。温かかった。一人だったんだよ。お風呂だった。」6)「こんな格好よ」といってして見せた。「プルーン,プルーン」など音がする水の中3)など覚えている。

II.胎児と新生児の発達

A.新生児の発連

1.1回で言葉を覚える
どういう場面で誰が何を言ったかを覚えている。「出てきたら男の人と女の人がいた。男の人は注射みたいなものを持っていた。女の人は佑美(子供の名前)のことを「かわいい子ですね」と言ってだっこしてくれた。ママはおっぱいを飲ませてくれた。」6)。「ジェンナ(助産婦)がね,「ダナ(助産婦)赤ちゃん出るわよ」って。それからジェンナとダナが話して“,ジェンナは私にも何か言った。」3)言った言葉を覚えているばかりでなく,誰が誰に話したかを理解している。これは高度の機能で前頭葉の機能が既に発達していることを示している。また人間の話し声だけを選んで聞いていることが客観的に証明できる。話し声を聞くと特定の声に対して手足や顔など特定の部分を動かせている(entrainment)ので聞いていることがわかる。雑音や拍手,母音だけの連続音には反応しない8)。この現象は生後12分から見られ機械を使えば大人でもみられる。ただし自閉症児には見られない122)

2.母親を認識している
生まれる時には既に母親を認識し,愛着を持っている。そのため新生児とすぐ心が通じ合い,育てやすい。もし風疹などで母親を認識する脳の部分が傷害されると,自閉症児となる。そうすれば母親に何も要求しないので泣きもせず,very good babyといわれるが育てるのは大変である。母親と目が合わない。言葉を覚えるのが困難である。言葉のおうむ返しecholaliaは可能であるが,コミュニケーションが難しい。

3.生まれたら母親を捜す
生まれるときのことを聞くと「お母さん,お父さん,どこなの」「真っ暗,真っ暗,真っ暗」という9)。お父さんも分娩室にいたので声が聞こえていたのであろう。生まれてから連れてこられたので「お母さんだよ」と声をかけると,泣き止んでお母さんの顔をじっと見たという9)。「お腹が空いているのにママはいなかった」と母親を捜している。「お母さん私がどうして生まれて来たか知ってる?お母さんに会いたかったからよ」というのは本音であろう。

4.母親に会えば嬉しい
 1)母親に会えば母親かどうかすぐ判り,会えば嬉しい。
「看護婦さんが洗ってくれたの。そしたら,ママに会えてとても嬉しかったから,いっぱい泣いちゃった。」6)。赤ちゃんが嬉し泣きをするとは面白いが,どの人が母親かがすぐ判る能力はたいしたものである。ママに始めて会ったときの印象を聞いてみると,「うれしかった。よかった。」という6)

 2)生まれてしばらく目覚めている:「赤ちゃんは生まれてすぐ」「目覚めた状態が平均50分ぐらい続きます。しかもその間に自分のお母さんの顔や目をまっすぐ見つめ,また声をかけると反応します。」10)

5.母親に対する気遣い
 生まれた瞬問から母親を気遣い,気持ちを読みとる。「お父さんは私を抱くのがこわかったから」「ちょっと触っただけだった」「お母さんは泣いていたわ。でも痛かったからじゃなくて,嬉しかったからよ。」(事実と合っている)。麻酔でふらふらになっていた母親の子供は「お母さんはどうかしている。目も開いていないし眠っているのだろうか」と心配している4)

6.生後すぐ顔を覚える。
生まれたとき誰と誰がいて,どういう服装で,何を持って,何をしていたかを知っているのだから,顔を覚えることは明らかである。例えば,出生時は「男の人(医師のこと)と女の人(看護婦)とそれからきんちゃんとまき(友人)もいた。パパは黄色のお洋服を着てペチャペチャお顔ふいていたの」6)トムバウアーが吸い口のようなものに工夫をして,吸乳の早さでテレビにいろいろな顔が出るようにすると8秒で母親の顔が映るようにした。12時間後にはdiffernt color(ネガのことか)でも認識できたという1)

7.表情の真似ができる。
中国の老教授が生後8時間の子供に舌を出してみせると,真似をして舌を出した。同教授が顔を見合わす姿勢に戻るたびに舌を出して見せた。悲しみ,喜び,驚きの表情の真似もできるという11)。生後1週間以内の新生児は母親の顔を真似ることができる。舌を突き出す,目をぱちぱちする,口の開閉などをして見せると喜んで真似をする。これを共鳴動作と呼んでいる12), 121)。イギリスのバウアーは社会的ゲームと考える。新生児と親子の良い遊びになると思う。同様な真似は生後1時間でも可能という13)

8.表情を汲み取る能カ
 新生児は母乳を飲みながら母親の表情を見ている。表情を読みとる能力が大きく,1週間の新生児は母親がマスクをして黙って授乳すると動揺する。母親が15秒表情を変えないとおかしいと思い働きかけを始める。憂鬱な表情をすると泣きだし数日後もまだ心配していると言う。また楽しそうな顔と楽しそうな話し声,悲しそうな顔と悲しそうな話し声を結びつけることもできる1)。表情の認識は前頭葉の機能であり,老人性痴呆の初期・小ボケの段階で一番先に失われる124)人間特有の機能である。いつから顔の表情が分かるか次のような実験をした人がいる。紙に書いた顔を真似するかどうか調べると,1ヶ月で始まり2ヶ月で最高という14)。バウアー(Bower TGR)は奥行き,大きさの恒常,音の方を向くなどは新生児から可能であるが,1度に処理できる情報量の制約から顔は約5カ月の発達を要するという15)。この実験は,本当の顔を用いていないので発達の見積もりが間違ってしまった。新生児は表情も読みとるほど発達しているから,顔と紙に書いたものは瞬時に区別しているであろう。人の顔と紙では関心の度合いも異なり,認識する中枢も別である。脳には顔だけに反応する「顔コラム」があり,図形の認識とは認識場所も機構も異なる16)

9.感覚の発達
視覚:母親の顔を見分けることができ,顔の表情を真似ることから視覚が高度に発達していることは明らかである。吸い口の早さで映画のピントが合うようにすると,ピントを合わせて映像を楽しんだ。吸う早さを変更すると平均4秒で理解した。新生児は見てピントを合せるということと,吸うという2つのことが結合できることがわかる117)。また唇の動きと声の関連が分かる。母国語と他の言語では,生後数日で母国語を話している顔を見る。喋っている2つの顔と声を出すと,その声を喋っている顔を見る。顔の動きと子守歌が0.4秒以上ずれると顔を見なくなる1)
5歳以下の幼児は視覚も脳も未発達なので字が読めないとされていたので大きい文字から導人することになっている。慣れるに従って小さくしているが,ひりゅう教育学園では2歳児が文庫本を読んでいるという118)。ただ小さい字を読むと文字の読める視野(能動視幅)が狭くなるので,右脳を使う速読法の併用がよいであろうl19)。小さい字は速読法に適さない点も考慮する必要がある。演劇や詩の朗読は芸術性もあり大切だが,朗読の習慣は読む速度を遅くする。黙読でも声帯の動きに制約されているので,歌いながら読むなどして声帯のプレーキをとると(視読という)速くなる120)
匂い:オックスフォード大学のマックファーレンは生後6日で母の母乳パッドと他の母の母乳パッドを区別するが生後2日では区別できないという17)
味覚:生まれたばかりでも甘いと酸っぱいが分かる18)
触覚:動物は新生児をしきりに舐める。母猫が念人りに舐めるところを覆うと恒常的な機能障害になるという19)。ウガンダでは新生児にやさしい声をかけながら,しきりにマッサージずるという。戸苅創等は次のようにいう。「お母さんが赤ちゃんに語りかけるとき,同時に赤ちやんの体のあちこちをやさしく撫でること(皮膚接触)を忘れてはいけない。彼らは,それを「言葉」に置き換えている可能性がある」という20)
痛覚:鉗子で頭に挫傷を負った2歳半の子供は「すごーく痛かったよ,まるで頭痛みたいだった」3)と言う。ユダヤ教やイスラム教,アフリカのいくつかの種族では古くから割礼の習慣がある。1960年代にはアメリカで産まれる男の赤ちゃんの95%がこの処置を受けていたという。1970年代になって医学的メリットなしと報告され少なくなったが,生後1年間の尿道感染症は11倍多いという21)。割礼は生後2〜3日目に麻酔なしで行う。ベビーベッドでの静かな死の80%は男であることと関係があるかも知れないという22)
生後1年ぐらいまでは痛みを感じないという著者等が学生時代に聞いた説がまだ生きている。生後1年くらいはシュヴァン鞘が発達していないので末梢神経は無髄であり,従って神経伝達速度は遅いと思われるが,痛みを感じないという説が間違っていることは誕生時期の記憶から明らかである。

10.運動
 胎児の時からお腹の中で動いて鍛えている。「チューチューしてねんねしてた。オチンチンさわってた」6)「指しやぶりを態度で示す。キックした」9)。手の発達は早く,生後2日でぶら下がる子供もいる121)歩く前からよく泳げることは最近よく知られるようになった。新生児は歩けないから未発達と考え,ぐるぐる巻にするなど運動の発達を阻害することが平気で行われる。谷口早稲氏はべビーネンネなど赤ちゃんが動きやすい衣服を開発した23)。その結果10.8%あった先天性股関節脱臼が10分の1になった24)。尚日本とアメリカインディアンはパッパをする習慣があるので先天性股関節脱臼が少ない25)

11.会う人,間く音楽に親近感を穫得する
生まれた時会った人には特別の親近感を持ち続ける。新生児期に聞いた音楽はうっとりと聞きほれる。

B.胎児の発連

1.味覚と触覚
妊娠4カ月になると触覚も味覚も青っている。唇に触れると吸い付こうとする。羊水にョードを入れると顔をしかめ羊水を飲むのを止める26)

2.胎児は音楽を覚える レオニード・コーガンというソ連のバイオリニストが4歳の時バイオリンを弾くようになった。ある日突然教えもしない曲を演奏した。臨月の母親の伴奏で練習した新曲で,生まれて以来一度も聞いたことのないはずの曲であった27)。またカナダの指揮者ボリス・プロットは初めての曲であるのに楽譜をめくらなくてもチェロの旋律が浮かんでくるという。母親に聞くと胎児の時聞いていた曲だということがわかった28)。公文公は次のような話を報告している。「おなかの中で繰り返し繰り返し聞いていたバッハの「管弦楽組曲」やモーツアルとの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」などをかけると,泣いていてもすぐに泣きやみます。」「1才を少し過ぎてからのことですが,町を歩いているとレコード店からショパンの「プレリュード、が流れてきました。生まれてからは聞かせたことのない曲ですが,泊瀬ちゃんがお母さんに「この曲大好き」といったので,「おなかの中でやっぱり聞いていたのだなあ」と改めて胎教の大切さを知らされました。」29)

3.胎児は言葉を記憶する
 お腹の中で声が聞こえたか聞いてみると「「女の子かな,男の子かな」って聞こえたよ」6)、「ままがね,パーパー,パーパーって大きな声で呼んでたョ」(毎日お風呂時間にそう呼んでいた)30)。次のような報告もある。出産予定日の6週問前にスースの「帽子の中の猫」を1日2回読んで聞かせた。生後数日後吸い口の早さで物語が変わるようにすると10人中9人までが知っている物語を聴いた。物語を逆に読むと聴くのをやめたという31)。俳句を1日2回3分づつ聞かせる。生後その俳句を聞かせると何の変化もないが,胎児のとき聞かせなかった俳句を聞かせると心拍が変化する32)。4歳で言葉を話さないフランスの女の子が英語で話しかけると不思議に治っていった。妊娠中母が勤務していた職場は全員英語を話していたことがわかった33)

4.胎児は母親の声を記憶する
 ベネズエラでは生まれる前に子供の名前をつけてお腹の子供に呼びかけるそうである。生まれた翌日,母親と看護婦が互いに子供の反対側から呼びかけるとみんな母親の方を向く。何人試みても同じ結果だという34)。吸い口を吸う早さで声が変わるようにすると,大勢の中から母親の声を選び出すことができる35)。ブタオザル36)又は日本ザル37)を出産直後に母ザルから離し,300日後に面会さすと母ザルの方へ行く。ただし音を遮蔽すると行けなくなる。小猿は胎内で母親の声を覚え300日後も覚えている。

5.喜怒哀楽の情がある
胎児は驚く:胎児が驚いて動くのでこれを応用した次のような方法がある。横位の胎児16例に人工喉頭で音を聞かせ,驚いて動いたところで外回転術を行うと15例を頭位にできたという38)
嫌なことがある:フォークソングを歌うと胎児がよく動いたので生後聞いてみると「うるさい低音がいやだった」という2)。お腹の中は気分が良いという。「気持ちよかった。楽しかった。嬉しかった。あたたかかった。フワフワしあわせ。」とその気分を話した6)

6.胎児の超能力
. 胎児は母親の存在を認識しており,母親の思っていることを感じとる。「お腹の中で何か見えた?」と聞いてみたら,「東京の高層ビル,ライトがきれいだったね。」という。妊娠8カ月頃主人と高層ビルで食事をしたとき,車から見たビル街のライトがきれいで楽しかったことを子供が知っていた6)。「ママが「出ておいでー」って言ったので「出ていくよ」って言って生まれたの」と言う6)。(主人が出張中だったので「まだ生まれないでね」とお腹をさすりながら言い聞かせて,翌日「もう生まれておいで」と声を掛けて陣痛が始まった。このことを知っている。)どうして生まれたのと聞くと,「ママが相談したから」と言う。(医師と相談して,翌日入院し,陣痛誘発剤を使った)6)。胎児は母親の思っていることを敏感に感じとり,よく知っている。小学生は先生が成績が伸びると信じると本当にのびる(ピグマリオン効果)ように,母親に愛されていると胎児は元気よく成長する。母親の強いストレスが続くと14人中10人まで肉体的精神的問題をかかえた子供が生まれた39)という。超音波で胎児を見ていると「困ったわ,堕ろしたいわ」というと3カ月の胎児が痙撃したという49)。<


7.胎児も教えれば返事をする
 胎児がお腹を蹴るようになったのでお腹を突っつくと数を覚えて蹴り返してくるようになった。「3つ」といって3回つっつくと3回蹴り返してくる40)。尚条件反射なら胎生1カ月でも付けられると言う。2カ月の赤ちゃんでもお腹を押すと身をよじって反応するという123)

8.胎児にも意志がある。
「暗かった。早く出たかった。早くママに抱っこして欲しかった。」6)と言った子供は7カ月で早産した。「上へのぼろうとするのに足から引っ張られた」6)と逆子であったことを知っていたばかりでなく,上に登ろうという意志があったことを証言している。


C.新生児の学習能力

新生児は未熟で未発達の存在ではなく,高度に発達しており,学習能力は大人よりはるかに高い。何カ国語も同時に覚え,文法を自分で創る能力がある。数十個の点を瞬時に数え,掛け算割り算の原理を教えなくても結果を言うだけで理解する。

1.言葉の理解は話す時期よりずっと早い
子供はしゃべり出すよりずっと前から理解し始めることは,たずねたことに身ぶりで答えることや,言った通り行動することで分かる。三石は次のように書いている「おっぱいをかんだのでしかった。」「このことを人に話し始めると口を塞ぎにくる。この話しのときだけそうする。」という。子供は1lカ月であったと言う53)。カール・ヴィッテの教育法を実践したアメリカのストーナー婦人は,「口のきけない5,6カ月の頃からギリシャ,ローマ,スカンジナビアの神話を繰り返し話して聞かせたので,口がきけるようになった頃には,それらの神話をすっかり覚えていて,ジュピター,ネプチューンといった神話上の人物が,みなお友達みたいになっていた。」という54)。幼児にとっては言葉を覚えることよりも話すことの方が難しいものであるらしい。だから,子どもが喋らなくても分かっているものと信じ,豊かな語り掛けが重要である。700年ほど前のョーロッパでは言葉は自然に出て来るものと考えられていた。仏皇帝フィリップ二七世は,赤ちやんが最初にしやべり出ずのはラテン語かどうか,赤ちゃんを集めて実験をしたという。結果は報告されていない55)。全く話しかけなかったら狼に育てられた子56)のように,言葉を覚える筈がないし,l−2年で取り返しが不可能となる。

2.KarI Witteの教育
新生児は何でも分かると信じて話しかけたカール・ヴィッテ(Kar1 Witte)の父は成功した。Karl Witteの父は生まれた翌日から抱いて歩き,目の前の物の名前を言う。3歳,毎日散歩で話をしながら歩く。旅先でみたことを手紙で送る。5−6歳で3万語を覚える。6歳からフランス語を始め1年かかる。イタリア語6カ月,ラテン語9カ月,英語3カ月,ギリシャ語6カ月でマスターする。9歳でLeibzig大学に合格し,14歳で哲学博士,16歳でBer1in大学法学教授となる。才能を持ちながら誰からも愛され,少しも傲慢でなかった。ペスタロッチの奨めで父が1815年に書いた本がハーバード大学の書庫で見つかった。グラスゴワ大学のジームス・サムソン,タフツ大学のバール,レオ・ウィーナーなどがKar1 Witteの教育を受け継いで実践し,成果をあげている57)

3.ドッツカード
G1enn Domanはドッツカードを用いるとランダムに並べた点を数十個でも瞬間的に数える能力が開発され,加減乗除を瞬時に行う能力が身に付くことを発見した。掛け算とは何かなど計算法の説明は不要であり,言葉の文法を自分で作り上げるのと同じ要領で身につける58), 59), 60)。出生直後から教えると,寝返りもできない時期に,乳児が目で正解のカードを選ぶという61)。このような能力は開発されないと3歳を過ぎると失われて行く。

4.文字は話し言葉より易しい
Steinbergは自分の子供に読みかたを1日10−15分教えたところ12カ月でcar,baby,boy,gir1の4語を理解したが発音はまだだった。24カ月で48語(発音は15語)と,しゃべるより書き言葉の方がやさしかった68)。音声言語の発達していない聴覚障害児に文字を教えることができる69), 75)。脳障害児では漠字を覚え,これを手がかりとして言葉がでるようになる。聴覚障害児ばかりでなく普通児においても「話し言葉と,読みことばを習うのに,この二者の間にはまったく差はない」というゲイツ(1954)の指摘が正しいことが証明された。

5.発育段階説の誤り
話すより読むのが易しいことが明らかになってきたが,「文字言語行為は,音声言語行為がある程度完成した段階から,ようやく習得が始まる」76)という発育段階説は重大な誤りで,文字学習能力が退化する6歳ぐらいを最適時期と考える結果となり,アメリカの成人で10−20%の難読症を作り出した。

6.仮名より漢字が易しい
3−4歳の子供では仮名より漢字が易しく,英語ではアルファベットより単語が覚えやすい(石井−グレン・ドーマンの法則)ことが知られているが62), 63), 64), 65), 66),七田真氏は生後6カ月で仮名を教え始めたところ,パパ,ワンワン程度か話せない時期に50音が読めるようになった67)。七田真氏の指導している「0歳教育友の会」では0歳から仮名を教えて成功している。0歳児が仮名から教えることができるのは特別で,単語の概念が固まってくると,仮名,ローマ字より漠字,単語の方から教える方がよい。なお,仮名の音は左後頭葉39野,漠字の意味は左側頭葉後下部37野で処理している77), 78)。欧米ではローマ字が読めるようになっても,単語が読めるようになるのに時問がかかると言われている。ローマ字はすぐ覚えられるから優れた文字と考えられたが,ローマ字が読めてもすぐ単語が読めるわけではないとが解ってきた。又,最近難読症(仮名は読めるが意味がとれない)が問題になっているが,いずれも意味を表す文字の処理能力が低いためであろう。この部分の機能が退化した後文字を教える結果ではないかと懸念している。

7.文宇学習は早い方がよい
石井勲は小学校では低学年ほど漠字学習能力が高く,幼稚園児はさらに高いことを発見した79)。ある保育園で2歳児と3歳児に8カ月間文字教育を行った。その結果2歳児は97.3語(漢字71),3句・文,3歳児は99,3語(漢字81.3),1.93句・文となりほとんど同じであった80)。18カ月,20カ月,290カ月の子供に文字を教えたところ5カ月後に89語と86句文,311語と62句文,189語と86句文覚えたという81)。G1enn Domanは脳障害児治療センターにおいて1歳半で読むプログラムを与え,3歳ではみんな読書しているという。Glenn Domanの指導するフィラデルフィアのエヴァン・トーマス協会では生まれてすぐから文字および算数の教育を始め2歳で本読みをしているという82)。人間能力開発研究所では0−3歳の幼児に文字カード,ドッツのカード10枚を10−l5秒でみせる。これを午前2回,午後l回計1日3回見せるという方法で教育していると言う83)。三石由起子は34カ月で教え始めるのがよいと言う84)。七田真の主宰する0歳教育友の会では文字通り0歳から取り組んでいる。このように,漢字または単語文字は出生直後から教えられることが分かってきたのでできるだけ早くから始めるべきである。普通児では文字学習が遅れても取り返すことはできるが,脳傷害児では3歳を過ぎると取り返せなくなる85), 86), 87)。脳障害児も早く教育すれば普通児以上になることも可能である。ダウン症児も0歳から教育すれば普通児以上に育つことができる88)。ダウン症児は普通の育て方で育てるとどのようになるかはよく調べられているので,教育の効果をはっきり証明することができる。

8.障害者の治療から出発したグレン・ドーマン
G1enn Domanは障害児の治療をする中で知能の面を軽視しなかったために92)幼児教育の分野で新しい発見をすることとなった。人間能力開発研究所においては,0歳からカードにした文字,単語,知識のカード(POI,program of inte1ligence),ドッツなどを1日3回,1回10枚のカードを10−15秒ほどで見せることにより1年未満から2歳で本を読むようになっている83)。2歳から本を読む子供は日本でも増えてきている90), 91)

9.才能逓減の法則
言葉を覚える能力は胎児から始まるが,乳児期に開発されないと退化することは狼に育てられた子からも解る。人間の気持ちが分かる能力は乳児期に母親にかわいがられる中で育つ。鳥の孵化直後の刻印(刷り込み,imprinting)の法則はよく知られている。コンラッドZローレンツはガンの雛に声をかけて親と認識された。ガチョウは孵化後数分,アヒルは2,3時間の問にそばで動くものを親と認識する。この能力は短時問で失われ臨界期になる。視覚も使わなければ発達する能力が早期にが失われる。ドイツのフェスタは生後2週間の鼠の目を2週間縫合しておくと神経の接合部シナップスが14のままで増えなくなった。正常のものは8,000にもなった。また猫を生後横線の壁で囲まれた中で2週間育てると縦線は認識できなくなる。盲目で育った子供を5歳以上になって手術しても,光は見えても物が判別できるようにならない。難聴の子供に大きくなってから補聴器を与えても,音は聞こえるが言葉が分かるようにならない。絶対音感は3歳ではよく身につくが7歳では不可能となる。言葉の臨界期もかなり早い。7,8歳以後に覚えた言葉は母国話にならない93)。幼児期に毎日食事のとき英語のテープを聞かせると流暢な英語が身につくという94)。大学時代に英語がうまくなかった人がアメリカで2−3年勤務ずると見事な英語になった。聞いてみると幼児期に短期問アメリカで暮らした95)。狼に育てられたカマラは8歳で発見されてから7年で45語話せたというから能力はかなり衰えていることが分かる96) 。生まれたときは天才的能力があるが,発達可能性の非可逆的消滅が急速に進み6歳で固定する。今までの教育は時機を失しているものが多く,特に繰り返しの好きな右脳時代が過ぎてからになるので,左脳を酷使することになる。


III.人として迎えるために

A.胎教のすすめ

1.妊娠すれば子育ての始まり
仏教では四有(しう)という考えがある。受精の瞬問を生有(しょうう)と言い,この時点が誕生である。それから死ぬまでを本有(ほんう)で,子宮からいつ出たかは問題にしない。従って人間の年齢は胎内の266日を加えるべきだという126)死の瞬間を死有(しう),あの世へ行くまでの間が中有(ちゅうう,中陰ともいい,チベットではバルドという)。胎児はよく発達しているので生まれてきた子供と区別するのは難しい。子育ては妊娠したら始まると考えると良い。

2.古くから胎教があった
中国古典にも「婦人子をはらめば,寝るに側せず,座するに辺せず」「目邪色を見ず,耳淫声を聞かず,夜は則ちめくらをして詩を唱し」(大学)というのがある。
ギリシャ人には「妊婦が美しい肖像的芸術作品を見ると立派な子供が生まれる」という思想があったようである。プラトンは「国家論」で,「妊婦は激しい快楽や苦痛を味わず,優しく気だてよくおとなしいことを尊重し,しかも常に適当に体を動かすように」すべきだとかいているという127)。スラブ民族は妊娠すると揺り椅子に座って胃のあたりに手を当て先祖伝来の歌を歌ってやるという。自然な形で胎内教育は各民族の伝統に従って行われていた訳である。現代では古くから行われていた胎教は科学的根拠がないとして無視されている128)。これを今後意識的に復活して行くべきである。

3.ジツコ・スセディックの胎教
埼玉県生まれのジツコ・スセディック(旧,館林実子)は夫の信念に従ってお腹の子供に歌や音楽を聞かせたり語り掛けなどを行ったところ,生後2週問で「オッパ」「ママ」「キリー」と話すようになり,5歳でいきなり高等学校に入学したという50)。夫のジョセフ・スセディックは「君のお腹の中で何もすることがなくてきっと退屈しているにちがいないさ。さあ,大きなやさしい声で本を読んであげなさい。」「いつもやさしく平和で穏やかな気分で,この子が外の世界へ扉を開けるまで見守ってやることだ。50)」という。同様な胎内教育をした例では言葉を喋るのも早く,生後1カ月で「クツ」「お母さん」と喋った51)、または生後2カ月で「おとうしゃん」と喋った51)という。胎児に音楽や歌を聞かせる,話りかけるということを積極的にすることによる胎内教育の効果ははっきり現れるようである。

4.これからの胎児教育
お腹の子どもに不安を与えないよう,そして励ましていくよう,精神的に健やかに過ごすことが大切である。それに加えて音楽や語りかけなど教育的配慮も必要である。胎児は敏感に感じとり,言葉も覚えることがわかっているので,夫婦喧嘩は全て聞いていて,不安を感じるであろう。胎児を大切に思わなかったり,不用意に「こんな子はいらんのに」「男だったらいいのに」など言うと記憶に残り,後の精神的問題の原因になる。心理療法の経験によると,原因が出生前にあることが少なくなく,時には前世にまでさかのぼり「前世療法」が有効だとう。


B.新生児の扱い

1.新生児の扱いの不満
「どうしてぼくのお尻の穴に指でさわったの?どうしてぼくの鼻に管を人れてジュルジュル吸ったの?目に変な水を入れられて,いやだったなあ,全然見えなくなっちやったよ。それにプラスチックの箱に入れられて,どっかに連れて行かれちゃって,本当にいやだったなあ」2)。産湯のお湯が熱い,足を持って逆さまにぶら下げてお尻をたたく扱い方が乱暴,光がまぶしい,体重をはかる秤が冷たい,生まれた部屋が寒かった,ママが抱いてくれたがすぐ取り戻されてプラスティックの箱にいれられどこかに連れて行かれてしまった。新生児室にいれられると「ぼくは見捨てられたんだろうか」「みんな私を無視している。」「とても悲しい」「誰も抱いてくれない」と訴えている2)

2.ウガンダの赤ちやんの発連
マルセル・ジーバーが国連児童基金助成により1956年に調査した結果,生まれたらすぐ笑う,遅くとも生後4日目から絶え間なく嬉しそうに笑うという。2日目には腕を支えると座るという。用便は母親に意志表示をするので出生直後からおしめは必要がないという。マルセル・ジーバーはウガンダに病院をつくったが,病院で生まれた赤ちゃんは2カ月半は笑わない41)。フランス産科医フレデリックルボワイエは3年問インドの原始的地域を調査し,新分娩法をあみだした。この方法では生後12時間から新生児は笑いを振りまくという42)42)。

3.日本でも行われている「おむつ・サイン・コミュニケーション」
日本では8カ月ぐらいで用便の習慣を付けることがよく行われていたが,ウガンダでは生まれてからおむつは使わない。最近ウガンダに学んで,赤ちゃんのおむつを濡らさないで育てる試みが「トイレット・コミュニケーション」という名前で行われている。その結果,ほぼ1カ月で赤ちやんのサインが分かるようになり,完全におむつがとれる子供も多いそうである。そうしていると,子供が何を訴えているのかということが,お母さんによく分かるようになる。ただ「1歳近くになり,他に興味をいっぱい持つようになると教えるのを忘れる」という1)

4.近代医療における新生児の扱いに猛省を促す
近代医学を取り人れた産科学は最高のものと信じていたわけであるが,ウガンダやインドのお産と比べて遥かに劣るものであることが明らかになってきた。何が欠陥なのかまだはっきりは判らないが,新生児が十分発達した人問であることを認識し,扱い方に根本的改善をはかることを先ず始めなければならない。新生児を親から離すのは2重の意味でよくない。新生児は「さみしい」「どうしてそんなことをするのまだろう」と訴えるが,母親の愛情発達にも悪影響を与える。これが幼児虐待の遠因になっていると思われる。

5.ドゥーラ
ウガンダでは早く生まれるので胎児に対するストレスが少ないかも知れない。家庭分娩ではベテランの経産婦が付き添っていたが,病院で生むようになり無視されてしまった。今この復活が試みられている。経験豊かな分娩同伴者(dou1a,ドウーラ)を付けると分娩時問が19時間から9時間(又は15.5時問から7.7時間)に短縮され,経膣分娩が増え,硬膜外麻酔が減る。近代産科学の欠点がここでも発見された43)

6.出生時の配慮
フロイトは精神的問題の原因を出生時の精神的外傷(Trauma)に求めた。原初の体験を呼び出し再体験させる「原初療法」では,出生時の苦痛を完全に除くと成功率が高いという。出生時のショックを和らげる目的も含め水中出産が増えている1), 129)。子宮の中は薄明かりなので強い照明や太陽はまぶしい。千葉県香取郡には「産屋のあける21日目まではお日様を見ると罰が当たる」という言い伝えがある44)。インドにおいては産婦は産前一週間,産後3週間家の一部屋または小屋にこもる。男性は夫以外立人禁止,女性はお産の世話をする肉親以外は立人禁止である。このようにして新生児に静かな環境を保障している45)。新生児が十分発達した人間と考えて不快なことはないか,よく検討し間題点を掘り起こす必要がある。

7.入院出産が親子の絆の成長を阻害
新生児は出産後すぐ新生児室へ移すのが常識とされてきた。ところがここに大きな落とし穴があった。出生10分後母のおなかの上でうつ伏せにし乳が吸える位置に15分置くだけで,今までのように一目見せるだけの場合と比較して,抱く,語りかける等の母親の愛着行動に差があることが確かめられた46)。生まれたばかりの赤ちゃんを2群に分け,A群は今までのように目覚めたら授乳し,その後すぐ隔離した。B群は授乳後目覚めいている間母親が相手をした。その結果B群がはるかに健康で賢く育ったという。母子を一緒にしておくと,母親は子供の泣き声を覚え,二晩目にはその声で目覚めるようになり,抱き上げると子供はすぐ泣き止む。子供の方も3日もすると母親に合わせて昼夜のサイクルを覚える。いつも明るい新生児室に置いたのではいつまでたっても覚えない。
未熟児の場合は出生後すぐ保育器にいれられ,母親の立ち人りは禁止されてしまうので,母性本能の発達不全は深刻で,器質疾患のない発育不良が23−36%もみられるばかりでなく,わが子に対する虐待が13−30%も見られるという47)。日本でも母性本能が育たなかった例が報告されている。未熟児を引き取った母親はかわいがろうとせず寝かしっぱなしになった。1歳半で歩かず,言葉も出なかった。医者から知恵遅れではないかといわれて,ますます育てる気をなくしたらしいという48)
母子の絆の阻害は母親の方がより深刻ではないだろうか。猿は産まれた子をすぐ1週間引き離すと追い払ったりいじめたりする130)。犬は生後12日から3週間離すと子犬は甘えるが親は保護しない131)又スコットによると生まれたばかりの子やぎは4時間以上離すと母ヤギは育てようとしない131)

8.乳児膚待は子孫への罪
動物は次のような特徴があるという48)。1,同属は殺さない。2,無駄に獲物を殺さない。3,自然や地球を壊さない。4,子は親に反抗しない。5,親は子を虐待しない。わが子をかわいがらない動物はないのに,人間が子供をかわいがらないばかりでなく,虐待し,骨折などの負傷をさせるとは異常な事態である。母親に愛着を持って生まれてきた子供にとって大変悲しいことである。親の感性が悪いと子供の感性も悪くなるというが,虐待も子供に受け継がれて行く。虐待する親を調べてみると子供の時に虐待を受けている。乳児虐待は子孫にまで引き継がれて行く。

9.時間授乳が拒食症の原因か
時間授乳は1920年代から1940年代によく行われた。ヴィクトリア時代の厳しい躾という考えと,天国にいるにはおさなごのようでなければならない(新約聖書)からこの世の汚れに染まらないために食欲という快楽や欲望を斥けなければならないという考えが背景にある。さらに科学的目安である平均値という外部基準を全員に当てはめるという誤りが広まった。当時の新生児は「胃のしつけ」のために食欲を満たすため苦難を舐めた。児童相談をしていたフレイバーグ(1918デトロイト生まれ)のもとにある時期,原因不明の食事に関ずる相談が殺到したのである。漸く「かなり前に妨げられた本能が復習したのではないか」と思い当たった。抑え込まれたリビドーがとんでもない突破口をつくって飛び出してきたのである49)。著者は拒食症の原因は「胃のしつけ」にあるのではないかと強く疑っている。その理由は,1)病院出産のない時代には殆ど無かった。2)病院出産の広まっていない地域には無い。3)身体的な原因は無い。等である。この点を指摘したものにまだ見ないが,正しいものと思う。


C.感性を豊かに育てるために

生きる活力があり,包容力があり,ユーモアのある人問が増えなければ世の中が良くならない。そのためには乳幼児のうちに右脳を活性化しておくことが大切である。1975年頃からの「今日的ないじめ」の増加,不登校児の増加,アダルト・チルドレンの失速現象などの増加は感性の低下にあるのではないかと疑われ始めた。

1.生きる意欲はお母さんから
乳児を乳児院や病院に預けると高率に死亡するのわれる。2年生きるのは難しいというほどである。スピッツの調査によると設備の整った普通の施設では91人中34人(37%)死亡したが赤ちゃん2人に1人母親代わりの人を付けると正常に育った97)。乳児を励ます母親又は母親に代わる人がいないと乳児は生きる意欲を失って死んでしまう。

2.感性豊かな人間は新生児から
乳児院などで母親の愛情を剥奪されて(materna1 deprivation)育った乳児は,affection 1ess characterとなり表情が乏しく,人問の気持ちが読みとれなくなる。生後1年経てば多くは回復困難だという98)。最近欧米では母親がいるのに子供に愛情がもてず,家庭内maternal deprivationという現象が深刻な問題になっている99)。ロンドンにはそういう母児の登園する保育園がある。感性豊かな子供は感性豊かな母親との交流から育つ。感性豊かな子供は他人の気持ちも良く解るからイジメはなくなるであろう。

3.発育段階を正しくつかむ
話し言葉が発達してから数年後にようやく文字が読めるようになるという発育段階説は大きな誤りであったが,発育段階の認められるものもあり重要である。

1)這うから歩くへ
人問は這う動物から進化したのでこういう順序があるかも知れない。G1enn Domanは歩けない子供の訓練は先ず這うことから始める。

2)哺乳びんからコップヘ
フレイバーグによれば赤ちやんは口唇期の楽しみを心ゆくまで味わってから次の段階に進むという。他の子供がコップに替わったからという理由でコップに変えると楽しみを無碍に奪うことになる100)

3)保護から自立へ:自立への出発は新生児から新生児は十分母親に保護され甘えた後に自立していく。正しい育児愛に基づいた子育ての原則は子の発育段階にピッタリ合わせた育児態度を直感的にとることであると言う101)。1歳について10cm離れよと言われるように少しづつ自立を促してゆくようにしなければならない。十分保護し,お母さんを基地とすることにより,そこから自立してゆくことができる102), 103)。だんだん自立させながら子供が頼りにできる一定レベルの保護を保証しなければならない。早く自立させようとして突き放したら不安になり,かえって頼ってくるので逆効果になる。愛情が欠けて育った場合は年齢が大きくても抱っこから始めなければならないこともある。溺愛したり暴力を振るったりして揺さぶると頼りになるものがなくなり情緒不安になってしまう。小さい頃突き放し,大きくなると抱き抱え症候群になり自立に逆行してはいけない。

4)空想から科学へ
旧ソ連で空想的なおとぎ話は非科学的だとして禁止したことがあるという。その結果いつまでも空想に耽る大人が増えたという。子供は空想的な話しが好きである。空想の世界を大いに楽しんでから現実に帰るのではないだろうか。現代はオカルト,新新宗教などが若者達の間で大流行しているからといって,スポックやフレイバーグの考えた魔術的思考から合理的思考へという方向性を否定し「発達の原理が書き換えられることがあるかも知れない」104)と疑うのは正しくないと思う。「自明なことをいったん白紙にして,人類の進む方向を検討し直す必要」105)はないものと考える。空想を膨らますことのできるすぐれた児童文学を読む機会が少なくなっているのが問題であると思う。

5)右脳から左脳へ
新生児は繰り返しが好きである。同じ物語の読み聞かせを好み,同じ連動を何回でも繰り返す。パターンで右脳が満たされるまで左脳に移ろうとはしない。パターン認識は繰り返すだけでよく,説明は不用である。言葉を教えるのに文法の解説は不要である。漠文の素読は乳幼児に適した教育法である。貝原益軒の「和俗童子訓」(1810)では「返し読みを数十遍勤め,終わりて先を読むべし」という106)。右脳の遊び心,感性,生きる力などを開発せずに,理屈の左脳を強化するとコチコチの真面目人間となり,そのうちに失速現象が起きる。囲碁,将棋,音楽,スポーツなどは右脳の働きである。アメリカでは左脳教育の授業が終わると宿題など出さず,放課後は公園でスポーツやプラスバンドなど右脳の時問に当てるという107)

6)遊びの初めはお母さんと
新生児は生まれたときから遊ぶことができるまでに育っている。遊んであげることによりさらにその能力を伸ばすことができる。三石氏は,子供に手をかけるとは遊んで上げることだという108)。お母さんと遊ぶことから組織的遊びへと発展するという109)。「遊びを実質的に剥奪されて大きくなった子は,大きな負担を担わされます」という110)、カナダのへアインディアンにおいては「子育ては「あそぶ」の中に人っている」という111)。遊ぶ方法を身につけ,人間と遊ぶのは楽しいことだということを知るとイジメはなくなるであろう。乳児に知的教育をする場合,右脳方式で行うことと,よく遊んでやることが大切である。G1enn Domanは1回10−15秒カードを見せるのに5分以上は遊んでやるという。

4.新生児は一生の出発点

1)楽しい一生は新生児から
笑うという機能は人問と高等な猿にしか備わっていない前頭葉前野の高等な機能である。ウガンダの赤ちゃんは生後間もなく止めどなく笑うというから新生児には既にこの機能が備わっている。新生児に楽しく過ごして貰う工夫が必要である。昔から伝えられたあやし方も核家族化で失われつつある。旧ソ連についても同様であるという112)。ゲーム,碁,将棋,スポーツなど人間と思いきり楽しく過ごす経験を積むと,仲問作りも上手になり,一生楽しく過ごすことができる。遊びは新生児から始まる。新生児を退屈させないよう,あやし方の復活と新生児にできる遊び方の開発が望まれる。

2)遊びがエネルギーを生み出す
昔は遊びは無駄なもののように考えられ,「遊んでばかりいないで勉強しなさい」と叱られたものだ。遊びは生きるエネルギーを供給しているらしい。アルコール依存症の親がいるなど機能不全家庭では子供が仲裁役など大人の役割を担うことになり,子供らしい遊びが奪われる。そうするとadult chi1drenとなる。几帳面で真面目であるが,何かのきっかけで酒におぼれるなどで立ち直れなくなる113)。 1970年代から普通の家庭で,何の問題もなく育ってきたよい子が突然登校できなくなる例が増えている114)。親の期待にこたえようとして常に精神緊張の高い状態でいると失速する。核家族化で子供が少ないこと,友達と遊ぶ機会が少なくなったこと,遊びを知らない世帯が親になったことなどで,友達と楽しく夢中で遊ぶ機会が少なくなっている。固い親のもとで固い子供になっている。その結果,肩凝り,発汗,消化性潰瘍,不眠,学力低下,関心低下,唾液低下(虫歯増加)など中枢神経系疲労症候群となる。頑固でこだわる性格となり,もっと強くなると強迫神経症又は脅迫行動となる。何回も手洗いする,何回も鍵を確かめる,爪をかんだり,毛を抜いたりなどせずにおれない。そのうち過敏性腸炎,倦怠感が起こり,遂に学校に行けなくなる。もう遊ぶエネルギーさえ枯渇している。不登校児は増加しており,そこまで到らないオトナ子ども化現象は普通の子供に忍び寄ってい115)。失速する子供が増えて来る中で遊びの重要性が分かってきた。ゲーム,スポーツ,遊びなどの楽しみは殆ど右脳を使う。思いきり楽しく遊ぶ中で右脳が開発され,生きるエネルギーが生み出される。理屈だけの左脳では失速する。

3)老人ボケ防止は新生児から
老人ボケの主要な原因といわれているアルツハイマー病のうち遣伝子異常による不治の病は恐らく2%以下であり,90%以上は頭を使わないために起こる廃用性の痴呆(本態性痴呆)である。従って初期に発見すれば治療可能である。定年後2−3年で起こることが多いが,欧米より15年も早いという。仕事ばかりで趣味のない人は定年後頭を使うことが無くなる。仲間作りが上手で遊び心があれぱ,老人ボケにはならないし,なっても治療が容易である。金子満雄氏は「痴呆は高齢になって起こるが,その原因は殆ど幼児期までさかのぼる」116)という。


D.乳幼児の知的教育の在り方

新生児の知的能力は最高であり,もし開発されないと早期に退化してしまう。もし知的教育を怠れば,知的能力に乏しくぼんやり型(B型)のボケに早くから移行する。もしガリベン型の教育をすると,失速現象を起こしたり,定年後に早期にぼける。いわゆるガリベン型(G型)のボケになる132)。遊びはよくするが文字を教えることをかたくなに拒否している幼稚園も少なくない。文字の学習できる年齢は障害児では3歳までと言われるので健常児でもあまり遅らせることができない。文字文化はかなり大きい部分を占め,自分で本を読む年齢が若いほど能力が優れている89), 133)。早く身につけさせたいものである。それではどうすればよいか。その方法は次のようなものである。

1)知的教材を右脳用にすること
右脳教材は繰り返しの好きな幼児に適している。覚えようと考えずに同じパターンを繰り返すことにより自然に覚えるやり方である。右脳は容量が大きいのでいくらでも覚えられる。長くかけて覚えるので記憶が長持ちする。遊びの形態にしやすい。などの特徴がある。理屈で理解して覚える左脳型教材と比べると,覚えようという努力が要らないので,脳の負担が少ない。このような特徴がある。昔はサイコロ遊びの中で6までの足し算引き算は自然に身に付いた。文字もカードにしてカルタ遊びなど工夫することができる。負担に感じない程度の教育も可能である。グレン・ドーマンは1回10−15秒カードを見せることを1日3回行う。経験によれば1日1回でも十分伸びるという。この方法は遊びにはなっていないが,前後に充分遊んでやることで受け入れ可能となる。この程度なら負担にならない。関心が無くなればもう解ってしまったのだから次のステップへ進むと良い。又覚えさせようというのでないから結果を聞いたりは一切しない。説明をせずに繰り返す右脳教育は,乳幼児については内容まで理解する利点がある。言葉では文法を理解し,ドッツ法では加減乗除の意味を理解する。左脳教育をはるかに上回る能率が得られる。

2)棒暗記は負担の少ない教育法である
 覚えようとせずに何回も繰り返す教育法は右脳教育で脳の負担の少ない方法である。昔から漢文の素読がよく行われたが,一生の糧となって定着している。十分理解させる左脳教育は,努力しなければ結果が得られないので脳の負担が大きく,十分知識の積み重ねのあるときのみ有効である。習熟を重視しない教育体系は殆ど失敗する。理解を金科玉条とする教青観から,詰め込み教育と非難される繰り返し法が,実は負担の軽い方法なのである。理解をさせる左脳教育は、解らない人には負担が大きいばかりでなく,面白味が解らない。知育偏重の害が大きく,効果の少ないものである。

3)全てを遊びにすること
左脳教育の失敗は,親の期待に添うよう努力することでストレスをため込むことである。遊びだと考えると成果を期待したりせずそれ自身を楽しむのでストレスがたまらない。

4)遊びの量を多くすること
失速状態が生じるのは,知的教育が多すぎたからではなく,遊びが少ないからだと思われる。エリートサラリーマンも失速するが,不登校児が全て勉強しすぎたのが原因のようには見えない。


IV.ま と め


新生児は既に右脳が高度に発達しており,人の表情を読みとり誰が何を考えているかを見抜く力を持っている。感覚も十分発達している。人間としてはよく発達している。喋らないけれども全てを知っているものとして対応しなければならない。言葉や数を扱う能力は想像できない程大きい。新生児達に不愉快な思いをさせているものを取り除き,あらゆる障害を取り除き決適に過ごせるようにし,楽しみながら伸びて行くことを心から願う。
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Greet the new borne baby as a human being

Kanzen Nakamura*

New born baby has been recognised to be very immature without five senses. Recent knowledges show that not only the five senses are fully developed but also right brain functions are also developed, such as a recognition of mother's feeling, or her speaking to whom. Such abilities of new born as to appreciate language and calculate several ten dots at once are discovered by Glenn Doman, and there are far developed compared with that of adult. Consequently we must reconstruct the methods to handle pregnant women and new born baby.
Key words : bond between mother and baby, new born, developement, sense. nursing
* Department of Medical Technology, School of Medical Sciences, The University of Tokushima, 3 18 15, Tokushima 770-8509, Japan
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