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作詞

♪詩の試読のページ。


はれぶたんち たったひとりの夏祭り  うた

おやゆびちゃんたら   ごほんゆびのうたです。ユーチューブにアップしましたので、きいてください。

「幸せのしっぽ」ユーチューブで聞けます。

●丹羽正樹「12の引き出し」「迷い鳥」「スペードの女王(くいーん)」「クリスマス・イブ」など。
レコード版しかないので、何十年ぶりです。矢玉四郎作詞。
秋ひとみ「折り鶴はとべません」などもアップされています。(2020/11/9)

「長い廊下」 作曲丹羽応樹 ♪ながいながい ろうかを・・・  

rakugaki.htmへのリンク

「心のきれはし」作曲丹羽応樹 ♪愛という字には心があるでしょう・・・映像消えた

「ぬりゑ」はTBSのテレビ小説「こおろぎ橋」樋口可奈子デピュードラマ)の挿入歌だった。いい歌です。歌手丹羽応樹。「こおろぎ橋」の後半に入ってます。

●木の実ナナ「遊びなれてる人みたいに」作曲丹羽応樹−編曲大村雅朗−渡辺音楽出版 ♪遊びなれてる・・・(第一興商のカラオケにあります。)



天地真理ちゃん、歌姫の最高峰。50年間、この人を超える人はあらわれていない。ユーチューブのおかげで再認識しています。大人には 後期の「想い出のセレナーデ」「愛のアルバム」など、当時はちゃんと聞いていなかった歌、B面、アルバムを買わないと聞けなかった歌など、名作ぞろいです。歌い終わったあとの笑顔には、このごろの歌手のように「ありがとうございました」とつぶやいて、余韻を損なってしまう、営業の嘘くささがまったくない。こぎたない芸能界で半世紀まえに数年間輝いた天からの光です。(2020/9/12)

●藤圭子さんの オリジナルヒット曲は「新宿の女」「女のブルース」 などですが、50年前のものなので、テレビなとで聞けることは少ないのですが、ユーチューブには他人の名曲をカバーした映像が山ほどあります。宝の山です。

御本人は亡くなっているのですが・・・(2019/9/15)  


蔡幸娟 (ツァイ・シンチュアン) 「襟裳岬」。テレサテンより良いのに、なぜ日本で話題にもならず、テレビで見られないのかわかりません。ケペル先生のブログというのに説明がありました。ユーチューブのおかげです。(2015/2/09)

いえらいしゃん夜来香 台湾の歌手の中国語で聴くと表現が豊か。アレンジも楽しい。ユーチュブで視聴者のレベルはどんどん上がっていくのに、日本のテレビの歌番組の悲惨な状況にはうんざりする。
読み方がわからないが、この歌手はテレサテン以来久々の歌手です。個人的にはテレサ以上。すばらしい。(2015/1/24)

森山愛子さんサントワマミー、こんな歌だったのかと思い直しました。テレビドラマではチンコロねえちゃん役ですが、大利根月夜などの舞台では大歌手です。残念ながらスタッフがこの人を生かしきっていない。いい作品に恵まれるといいのだが・・(2014/1/2)

●牧葉ユミ「見知らぬ世界」名曲です。忘れてました。とても良かったのに・・・「回転木馬」「冒険」今聞いても、いい。みんなのコメントのとおり。ユーチューブは文化を変える。(2013/2/18)

作詞のはなし
(この文は古いです)
●ヒットにこぎつけたシンガーソングライターの人が、修行時代に「はれときどきぶた」の後書きの文ににはげまされたと、いわれているということがありました。あの後書きの文を書いたのも、20歳台での自分の経験からです。これから何事かを目指している若者のために、少し書いておこうと思いました。

●童話を書いてきましたが、もともとグラフィックデザイナーだったので、独学で広告のコピーの勉強もしました。わかりやすい文を書くためには、これは役に立ちます。
25歳からは漫画家をしていました(この話はまた別の機会に)が、30歳前に絵本に転向しようとしました。が、書いた作品を幼年童話にすることになり、初めて原稿用紙に書きました。作家修行などまったくしていないので、日本放送作家組合(今は脚本家連盟?)テレビの脚本家の団体の脚本の教室に通いました。テレビドラマの脚本を書く仕事につけるように訓練をうけました。先生は現役の売れっ子の脚本家ですから、放映されたドラマとその元になる台本を比較研究することもでき、テレビ番組制作の裏もわかってきます。
晩年時代小説に転向された隆慶一郎さん(池田一朗さん)にも講義を受けました。江戸時代のことをよく御存知でおしえてもらった場面をいまでも覚えています。プロ中のプロでした。

卒業後、作詞教室にも(第6期生)通いました。ここでも、現役ばりばりのプロの教えをうけることが出来ました。
星野哲郎、西沢爽、石本美由紀、なかにし礼、中山大三郎とヒット連発中の先生方が惜しげもなくノウハウを教えてくれました。一言一言が栄養満点ですから、これは効きます。
後で知ったのですが、当時私は30歳でしたから、なかにし、中山両先生とは数歳しか違っていなかったのです。詩人は十代から活動してますから、20代ですでにトップに立っているわけです。自分がいかにおくれているか思い知らされます。でも、おそいことは、悪いことではありません。他の経験を生かせます。ただ若いときのいちずな集中的なエネルギーにはかなわないところがあります。大人になってしまうと、突っ走って頭をぶっつけて、壁をぶち破るような狂気がうすくなります。
作詞の売り込みをやりましたが、なかなかうまくいかず、数曲がレコードになったところで、33歳くらいになってしまって、生活ができないので、やむを得ず作詞の仕事はいちおうあきらめて、児童書を一生懸命やりました。(つづく)
(2010/3)

この作詞教室からはプロが多数出ている。同期にも原田悠里さんの歌う「津軽の花」作詞の麻こよみさん。先輩には千昌夫さん歌の「望郷酒場」作詞の里村龍一さんや、高畠じゅんこさんなど。
●その高畠じゅんこさんと、わたしが童謡協会に入会するきっかけとなった詩人のこやま峰子さんと平成22年の総会のときにはなしをして、こやまさんの親しい友人とわかりました。世の中は狭いです。(2010/3)
●いい詞ができても、曲と歌手と売り出しのすべてが揃わないとヒットしない。作詞の仕事をしても金は一円も入ってきません。cd一枚3円くらい入ってきます。千枚うれると3千円入ってきますが。独身時代は漫画にしても、絵本にしても、貧乏ななかで制作と売り込みを辛抱強くやることができた。
だが、作詞の営業はなかなか厳しい。作曲家のデビュー秘話をみてもわかるとおもいます。作詞活動は断念した。その後幸いにも「はれときどきぶた」売れたので以来児童書の世界に30年いたわけです。
しかし、歌を作りたいおもいは常にあり、学研のはれぶたアニメでは、テーマソングとエンディングも作ったりしていた。。(2006/10/17)

●注文を受けて何本もかけるようなプロの作詞家には修行十年でやっとなれるという厳しさ。天才肌の作曲家とは正反対。特に演歌系の短く歯切れよいもの。なかでも童謡は最も難しいとおもいます。

●平成18年9月半ば、突然、童謡の作詞をするようになった。30歳の頃は大人向けの恋歌などを書いていたが、童謡を書きたい思いはあった。しかし、これが難しい。一本書いた「むかで・けむし・みみず」は、講師だったやなせたかしさんにほめていただいた。が、それきり。
 まどみちおさんの「ぞうさん」の歌詞を読んでみると、なんじゃこりゃ?と思う人ばかりだろう。しかしこれは童謡の傑作なのだ。これが書けるような心境になることは至難の技。なろうとしてなれるものではない。書けたとしても、よい曲がついて、ちゃんと多くの人に聞いてもらえるところまで、たどりつかない。宝くじを当てるより難しい。

●平成18年の9月下旬に「ぞうさんだっこ」という詞が書けた。別に頭をひねったわけではない。天からふってきたのて、私はそれを紙に書き留めただけだ。それが「良い詞」だとわかるのは、長年の童話や歌の鑑賞のおかげ。若いときには、才能のある人でも、自分の作品が良いのか悪いのかなかなか正しい判断はできないものだ。
とにかく、曲がつかないことには歌にならない。「どうせなら一流の作曲家小林亜星さんにつけてもらいたい」と、あつかましくも、思う。クリエーターの人、成功したいなら、そういう厚かましさは大事でっせ。物書き、絵描きでも音楽家でも、役者でもおなじ。
良い作品を作ること、できたとおもったら売り込むこと、この両方とも大事です。とかく内向的な作家は作品を公開するのをためらう。が、恥をしのんで、片っ端から人に見てもらう、けちょんけちょんにされて落ち込む。また磨きなおす。また売り込む。このしつこいまでの努力をしなければ一流にはなれない。これを読んでいる人、がんばってください。
で、ホームページへメールを出して売り込みました。思いがけないことに、「いい詩だから曲をつけてみようか」といわれましたので、詩をあずけておいたのですが・・(平成18年9月30日)
なかなか多忙な方なので、どんどん時がたってしまい。気の短い私のほうが、お待ちすることを我慢できなくなり、また童謡協会や、旧知の作曲家との縁が復活したりやらで、今になって、一応詩をこちらで使えるようにしました。(平成20年4月)

  1. ●童謡「ぞうさんだっこ」CD発売になりました。一番だけ試聴できますが、三番がオチになってますので、CDで聞きましょう。(2011/7/25)


●昭和五十年代。矢玉四郎は作詞家でもあった。
「遊びなれてる人みたいに」作曲丹羽応樹−編曲大村雅朗−渡辺音楽出版 ♪遊びなれてる・・・(平成24年カラオケになりました)
★「木の実ナナ」ザ・ベスト・オブ・ナナ うぬぼれワルツ 3A−1037トリオレコード(アナログLP)

★木の実ナナ全曲集 CO アポロン 1985−BY32−12

●「スペードの女王」作曲丹羽応樹−編曲船山基紀 ♪かけひき上手な・・・
●「クリスマス・イヴ」作曲丹羽応樹−編曲宮本光雄 ♪ジングルベルにせかされながら・・・
●「迷い鳥」作曲丹羽応樹−編曲宮本光雄 ♪
●「長い廊下」作曲丹羽応樹−編曲萩田光雄
〇「さよならが言えない」作詞鶴田喜久子−作曲丹羽応樹−編曲船山基紀
★「12の引き出し・丹羽応樹」SKS−1004 キングレコード1978(アナログLP) 

「ぬりゑ」作曲丹羽応樹 ♪ぬりかけてやめたぬりゑのように・・・
●「紙心恋折鶴」作曲丹羽応樹 ♪私の心をむりにたたんで・・・
「レディース・ホテル」丹羽応樹−SKS1036 キングレコード1979(アナログLP)
★秋ひとみバージョンもあり。「折鶴はとべません」哀愁BOYのシングルB面。今や超貴重お宝レコードです。秋ひとみ
「心のきれはし」作曲丹羽応樹 ♪愛という字には心があるでしょう・・・
●「幸せのしっぽ」作曲丹羽応樹 ♪帰りのラッシュの電車の中で・・・

●「はれときどきぶた」作曲白鳥澄夫 フジテレビ ポンキッキ ♪あしたはぶたがふるかもー・・・

●「こころ宇宙」作曲柳田ヒロ−歌ぶうびいぷう 学研教育アニメ「はれときどきぶた」のオープニング/
●「ぷわぷわるー」作曲柳田ヒロ−歌広谷順子 エンディング/この2曲管理はバーニング
●「二本の足でスタコラ」16ミリアニメ「おばけうんどうかい」主題歌 作曲谷康一 ♪二本の足でスタコラー・・

丹羽応樹が歌っている私家版のCDもあり、これには「心のきれはし」「幸せのしっぽ」「迷い鳥」「ぬりゑ」など、美しい歌が入っている。今コマーシャルに使うといいかもしれない。いや、いい、いい。ヒットしなかったけど、いい歌というのは、いくらでもあります。コマーシャル関係者は、そういうのを発掘して使うと特ですよ。

「ぬりゑ」はTBSのテレビ小説「こおろぎ橋」樋口可奈子デピュードラマ)の挿入歌だった。いい歌です。歌手丹羽応樹。「こおろぎ橋」の後半に入ってます。

作詞作曲でテレビに出たこともある。NHKの「あなたのメロディー」に「ピカソみたいな私の顔」、歌は山本リンダ。昭和四十年代のこと。谷啓さんが司会をしていたころ。ふるいねえ。このときのアレンジャーが若松正司さん。30年後に童謡協会でお会いできました。

〇アグネス・チャンのアナログLP「Happy Again」のなかの「あなたにさようなら」作詞鶴田喜久子・作曲梅垣達志・ワーナーパイオニア) この歌の歌詞の著作権継承者はなにをかくそうこの私。この詞には丹羽応樹作曲のものもあるのです。いい歌です。
★平成16年11月15日(月)六時 東京大井町きゅりあん大ホールで「歌とタクトの祭典 うたくと04」コンサート
主催日本録音指揮者連盟)で私の作詞「幸せのしっぽ」丹羽応樹歌 でやりました。他にキム・ヨンジャなど出演。


●演歌、歌謡曲系の死蔵していた作詞をひっぱりだして見た。(平成16年10月17日)

30年も寝かして、その間児童文学、絵本を書いてきたことと、実生活でも悲喜こもごもの人生を体験してきたから、当時とは全然物見方がちがっている。演歌の四行詞でも当時は見えなかったものが、見える。詩作の技術は格段にあがっている。若気の至りにも気がつく。一作一作に手をいれた。
 若いときから、出来た詞には必ず自分で曲をつけて、歌ってみている。字足やアクセントもここでチェックして、言葉をいれかえていく作業をする。これはとても楽しい。
 若いときには、大胆で新鮮な発想ができる。素人の書いたものの中にとても新鮮な言葉使いはある。ただ歌になるとそれなりの技術がいる。昔から素人の詞になかにし礼さんのようなプロが手をいれて仕上げてヒットに結びつけた作品も数多い。そのためには、プロが素人の書いたもののなかの、キラリと光る部分を感じ取る力量がいる。これは児童文学でも同じことだ。
 先年、まだ60才代でなくなられた中山大三郎さん、この人にも作詞教室で教えを受けた。天童よしみさんの「珍島物語」♪海がわれるのよー、や「無錫旅情」などで、場所を韓国や大陸にもとめ、演歌系の新しい天地を切り開こうとされていた。

★作詞家としては、この30年間、やりのこしたことばかりという思いだった。天に機会を与えられたので、こころに残る唄をかきたいと思ってます。(2006/10/17)


さくらさくらの歌詞
『大疑問「さくらさくら」の歌詞が二つあり、二転三転している』と2003年に書きましたが、その後よくわかりました。もうきちんと正すべきです。さくらさくらは「弥生の空」の昔ながらの古謡の詞にもどしましょう。「野山も」は抹消したほうがいい。

@さくらさくら 弥生の空は 見渡すかぎり 霞か雲か 匂いぞいずる いざやいざや 見に行かん

Aさくらさくら 野山も里も 見渡すかぎり 霞か雲か 朝日に匂う さくらさくら 花盛り

私は@を習ったのだが、子供達の教科書を見て仰天した。Aになっている。いつから変わったのか?
先日、九段の靖国神社の骨董市で『うたのほん 下 教師用』昭和16年文部省発行 )の古書を仕入れた。

国民学校の音楽の虎の巻らしい。「海行かば」「君が代」「勅語奉答」「一月一日」「紀元節」「天長節」などのあとに、「春が来た」「さらさくら」が並んでいる。ここに載っているのはAの「野山」」版で、下に注があった。

『箏曲の古謡、さくらさくら、弥生の空は、見渡す限り、霞か、雲か、にほひにほひぞいづる。いざやいざや 見に行かん。」といふ唄の替歌である。「朝日におほふ」は、本居宣長の「敷島の大和心を人とはば、朝日に匂う山桜花」から採ったものである。』

インターネットて検索すると、明治時代に東京音楽学校(いまの芸大)で、歌詞を書き換えたものらしい。
@が江戸時代からあった本物の日本古謡。Aは明治になって改竄したもの。ということらしい。

詩人なら一読してどちらが良いかわかる。Aは詩になっていない。たとえば、「さくらさくら」とうたったのだから、「花盛り」は余計な句なのだ。下手な詩である。

結論 文科省は@に戻した方がいいでしょう。(2003/11/27)  

★その後。2006年年末、童謡唱歌の研究をするようになった。そこで、「さくら」について記述している本を読んだ。
「教科書から消えた唱歌・童謡」横田憲一郎(産経新聞社)
さらに、参考文献としては「これでいいのか、にんぽんのうた」藍川由美(文春新書)がある。ぜひお読みください。
(2007/1/14)


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