新ぶたごや表紙へ   便所の落書き 

漫画家にもどって、てってー的にふざけようとおもったが、どうにもまじめになってまうのでいかんなー。反省するのはブタもできる。世の中がふざけすぎだもんなー。真面目に正論をのべるのは珍獣扱いされるらしいな。(2003/1)


更新2016年平成29年5月30日
●映画「ラ・ラ・ランド」見ました。散々くだらないハリウッド映画を見せられてきて、うんざりしている人。たぶん中学生が見ても楽しい映画らしい映画。映画館での鑑賞をおすすめします。(2019/2/28)

●栗山千明さんが出ている映画なので、無料だし「種まく旅人 くにうみの郷」とかいう映画を見ました。思わぬいい映画でした。2時間かかりますが、見始めたらやめられません。なぜ知らなかったのか悔やまれます。いい映画を作る人が現にいるのに。
さらに「種まく旅人 みのりの茶」を渋々見てみたら,これがまた良かった。個人的には大分の映画なので、さらに感じるものが多かったのですが。最後に流れた歌を聞いて「これは中村中さんでは?」とおもったら,当たりだった。霞が関の官僚が主役なのだが、おもしろい映画になっているのが企画の不思議。(2016/11/2
のん(能年玲奈)の短い映画を見ました。やっぱりいい。もっと見たいので活躍の場を。(2016/10/16)
赤ちゃんの液体ミルクがやっと実現するか?小池知事のおかげだが、なんといっても東北大震災のときにミルクをおくってくれた人に、このニュースをお知らせしないと。五年前だから当時の赤ちゃんは幼稚園児か。(2016/10/16)
●毎日新聞で大きな見出しで「赤ちゃん用液体ミルク」のことが報じられた。小池新知事に関するニュースとして出てきたものだが、「おいおいこの五年間なにをしていたんだ」という感想。五年前にここに書いたものがこれです。(2018/8/10)
●都知事選ではインターネット時代の新しい傾向が見られた。情報がわかるので予想通りとなった。ただ、選挙は子供の時から見ていますが、 8時に即小池当確が出たのにはびっくりしました。(2016/8/2)●都知事選挙 初日に期日前投票した。政治家 マスコミの裏が見えたマンガ的な選挙戦だった。終了。(2016/7/25)
●広島カープの優勝と小池ゆりこ知事の当選は、だれの目にも確定的ですが、名古屋場所では三番手の日馬富士が優勝しました。イギリスの国民投票のように、決定まではなにが起こるかわかりません。マンガや映画の筋書きだと、どんでん返しをつくりますが、現実は脚本ではありません。都知事選さわぎは終わりです。(2016/7/25)
イケアのタンスで子供6人死亡事故がアメリカであったらしいことを日本では見過ごした。中国での抗議報道がニュースになった。日本はバカにされているのか?
タンスの引き出しを出して、それに子供がぶら下がれば倒れる。日本でも事故は起きているはず。親は注意してください。タンスの前面の材質が重いのが欠陥。前脚が出ていれは倒れにくい。アホデザイナーが多いので見てくれではなく、機能を見抜いてください。日本の本物の職人なら考えているはずなのだが、そういうことは報道されない。(2016/7/14)
●尊敬する画家の井上洋介さんが亡くなった。1960年代に美術手帳にのっていたナンセンスマンガに魅せられた。
児童書作家になってから、雑誌モエで「まんだくんとマンガキン」の絵を書いていただきました。
後に岩崎書店で単行本化、はれぶたと同じ判型です。フォア文庫にするときに、全面描きなおしになったので、自分で描きました。2冊を比べてみてもおもしろいでしょう。南無阿弥陀仏。(2016/2/5)

●テレビ東京「なんでも鑑定団」の件は、翌日平成28年2月4日の週刊誌文春、女性セブンの広告に大きく取り上げられていたので、引っ込めますが、テレビの番組を作る現場の人が、お茶の間でテレビをちゃんと見ているのかという疑問がある。見る人の心情がわかっていない。休みをとってじっくり鑑賞する機会を作らないと。    カメラワークがおかしい。テレビ画面が大きくなったのだから、やたらとアップにしないで、全体を見られるようにするべきで、司会の今田さんが話しかけている相手を写さないのは誤りといえる。カメラマンは、プロならば、やたらとパンしたり、ズームアップしたりしないで、被写体の動きををわかりやすく見せるように、カメラ操作をひかえるようにしないといけない。カメラ据えっぱなしだと仕事をしていないと思っているようだが逆だ。
テレビ局で画面切り換えをしている人も同様。
画面切り換え権、ズームアップ権は視聴者に渡してもらいたい。未来のテレビはそうなるだろう。
特に顔のドアップは控えるべきだ。目の前にいる人の顔をじろじろ見るのは失礼なのだが、実物より大きな顔が写っていて、特に一般人の泣き顔や、老人、病人の顔をドアップで見るのになれてしまう視聴者の精神もおぞましい。(2016/2/4)

●テレビ東京「なんでも鑑定団」2月2日の放映を見ました。石坂浩二さんが不当な扱いを受けている様子が良くわかりました。
「なんでも鑑定団」はテレビ東京を育てた番組です。私は初回からずっと見続けてきた。右に立っている吉田真由子さんのファンでもある。見え透いた発言の多い女性タレントが多いが、島田伸介さんの司会当時、なかなかの発言をされていたのて、ファンになった。見方によってはやる気のない態度なのだが、それがとても自然体で媚びない人というところが良かった。伸介さんの毒を中和する良さがあった。
真贋を判定する鑑定団に、まさにふさわしい人である。それが、この番組を見続ける理由だ。石坂さんはそれ以上。彼の見解と審査員の判定を双方楽しめるのがこの番組の良さだ。
これが分らないプロデューサー、だれだかも良く分からない、報道しないマスコミ。
またもや、いじめ事件などのように、ネットで騒ぐから後から渋々報道するという事態になるのだろう。
見続けてきた視聴者の心を踏みにじるテレビ東京。私はずっと他局に比べて独自の企画で勝負してきたテレビ東京を応援してきたのだが・・・。無念というしかない。(2016/2/3)

国立競技場について昨年書いた記事です。政府の英断は良かったが、解体はされてしまった。(2015/7/25)

●「子ども表記」について言語学者 F爺・小島剛一さんの記事で、間違いを指摘いただきました。複数ではなく集合だという論は納得できます。逆に日本の辞書(言語学の権威)がだめなことがわかった。「ども」「たち」の説明には「複数」と書いてあります。
「その女たち」は首謀者の女と手下のむさくるしい男でもいいので、女が二人ではない。複数ではない。
こんな指摘は初めて受けました。目からうろことはこのこと。すばらしいです。学校でちゃんと教えましょう。(2015/6/3)

●10年おくれで「脳の中の幽霊」ラマチャンドラン)を読んでいますが、コンピューター画像などで脳の働きが、わかってきていますが、心理学、哲学も大きく変化するようです。仏教の諸法無我(自分というものはない)に注目。自分が正しいと我を張ることに疑問がわいてきます。新国立競技場の巨額な建設を改めることができない人間の脳の働きを考えると、政治や社会の動きとしては脳科学の知見は、すぐには期待はできませんが。希望はあります。(2015/7/11)

●1966年(昭和41年)のフジテレビ「しろうと寄席」の映像を発見!若き横沢彪さんがアシスタントディレクターの番組です。
8ミリ映画なのでカラー映像になっていますが、当時のテレビは白黒です。ビデオなどありません。
審査員は今なら人間国宝級の方々です。(2015/4/7)

最高裁判決を支持する。
2004年愛媛の小学校で子供が蹴ったボールが道路に飛び出した事件。
子供が遊んでいて事故になったときに、親に一千万の賠償責任を負わせるのは、国家による犯罪である。
暴力団などが「金を出せ」というような脅迫よりも、たちが悪いではないか。これが国のやることか。
子供が育たず、国が滅亡するのだから、大罪である。
一審、二審の裁判長の人間としての資質を問いたい。民法の文言をなぞることが裁判官の仕事だと勘違いしている。自分がつつがなく仕事を終えたい、文句を言われたくないという心情で裁判をしているのだろう。
裁判官や弁護士が世にはびこる、訴訟が増え続けることは、良くない。外国からの影響もあるのだが、だらこそ日本人は人類の長い歴史に学ぶ必要がある。
  他の分野でも小賢しい人間が増えた。物覚えがよく、学校成績優秀で、資格試験も楽に通るたぐいの、世間的には優秀な人々である。百年の未来を思う度量がない。視野が狭い、せこい。せこいから成績優秀になる。
  
4月10日の朝日テレビの朝の番組での、長島一茂さんの発言に同意する。良くいってくれました。
この判決が出ても、街頭インタピューでは、凶悪な少年犯罪と混同している人もいた。

世の中は法律によって動くのではない。昔の中国でも、孔子の儒教と、逆のことをいう老子の思想があって、そこへお釈迦様の仏教の考えも加わってきていた。この三者を今は学校教育ではまったく扱わない。そのことが70、80歳になっても幼稚な大人を作ってきた。子供を非難する大人は幼稚で、自分が子供なので、ライバル視する。
儒教、道教、仏教は自分で学んでください。目からうろこが落ちます。学校教育成績優秀者など頭が偏ったものだと思え。民間での広い意味での教育、また自身で学ぶことが大事。本来図書館などはそういう場だったのだが、どんどんだめになっていっている。マスコミも同様。児童書も同様。
  混乱した文で申し訳ない。緊急に書いた。(2015/4/10)
テレビの顔の大写しは無神経。写された人、大画面で自分の映像を見て平気なのでしょうか?ケネディ大使のドアップも失礼だ。実物よりも大きく、人の顔を虫眼鏡で見るように見たくありません。写す人も、写される人も、狂っている。羞恥心とか、奥ゆかしさとか、美意識に欠ける。若くてきれいなプロの役者なら覚悟の上だから、いいだろうが、取材対象の老人のドアップは犯罪的である。「人の顔をじろじろ見るな」と昔から言われているのはなぜか、考えましょう。(2015/3/13)

矢玉四郎検定というのがあったので、やってみました。合格しました。 (平成27年3/6)
●いやな情報が、しかも感情をあおる声や映像で、毎日、私たちの心にとどきます。
大人でも心にダメージを受けます。まして感受性の高い子供に与える影響は限度を超えています。
昔の日本では、道端に地蔵菩薩が立っていました。子供の味方だと誰もが信じていました。子供には
希望と夢、楽しい情報をシャワーのように降り注ぎましょう。(平成27/3/4)

●掲示版に投稿があって知りました。文科省が「子ども」をやめて「子供」にしたということ(2013/9/8)新聞では日本経済新聞が報道。(2013/9/21)東京新聞に「子ども 子供?」の記事が出ました。(2013/10/7)

●はれぶたアニメ英語版TOKYO PIG。則安が英語しゃべってます。
初めて見ました。(2013/7/18)

●ユーチューブに古い昔の曲の「ダニーボーイ」をアップしたら、One or more music publishing rights collecting societies というところから文句がきた。初めてだし面倒なので「0k」ボタンを押したら、アドビの広告が入った。「意義申し立て」をしたら、広告は消えたが、メールが来て「30日以内に意義申し立てをしなかったから」だめとかいってきた。一日しかたってないのに。(2014/10/31)

●広島県福山市で福山駅の裏にある福山城を見学。バスで30分の鞆ノ浦は、夢の世界でした。鞆港とぎっしりと連なった家々。そこに住むおじいさんや、おばあさん、犬、ねこまでもが、いとおしい。この景色を破壊する企みは一時遠のきましたが、まだあるようです。おろかきわまりない。国が保護しなければだめだ。宮城道雄の春の海はここがモデルらしい。
行くときはぜひ市民が乗るバスに乗ってください。運転手さんがとてもいいです。50年前の古き良き日本が残っているような感じです。(2014/10/3)

●「うそ新聞」のことは、1985年発行の「あしたぶたの日ぶたじかん」で書きました。うそ記事を書くと本当になってしまいました。現実になるとは。後書きに新聞記者の心得を書いてあるのですが・・(2014/9/12)

●口演童話家 久留島武彦の「人のかわりになったヒキガエル」絵本化の仕事中。夏休みなし。(2014/8/27)
と書きましたが、10月になってこの仕事はやらないことになりました。絵は80パーセント出来ていたのですが。

●現代尺八吹奏新境地に。脳は60歳すぎても進化しますので、どんどん頭を使いましょう。ただ、多くの人が頭の使い方を知らない。過去の知識にこだわり、感情というものを制御できない。哲学などという言葉を振り回している人は信用しないほうがいい。権威を疑え。自分というものを根本から冷徹に見ることが大事。2400年も前のお釈迦様の言葉をじっくりと聞くことをおすすめします。(2014/7/7])

●刑事ドラマ乱立にはにはうんざりするが、TBS「東京スカーレット」はちょっと新鮮。等身大で三枚目もやれる水川あさみさん主演というのがいい。犯人役がベテラン役者だとうんざりだが、若い、顔も知らない人だったのが新鮮。現代の犯罪を、ことさら血を見せて脅かするようなことをせずに、新しい切り口で描けると良くなる。(2014/716)
●NHK大河「黒田官兵衛」本能寺、安物の劇画風な台本になっていて、役者の江口さんが気の毒で、見ていられなかった。劣化した視聴者に合わせて、劣化した作品を提供する悪循環から抜け出せるか?(2017/7/14)

●いまの日本のテレビは、芝居がかったピョンヤン放送を笑えない。アナウンサーのニュースを読む声は冷静でプロ意識を感じる。特に地方テレビや経済ニュース、交通情報などは、マイナーな放送でも、いや、そういうところにプロがいて感心します。ところが、良く見られているテレビでは、ニュースの説明映像では、喉をしめて気味の悪い発声をしている。感情をさかなでする。感性の鋭い人は、聴くに耐えない。
最近はNHKのニュースナインまでもが、演技的な発声をしている。報道者の資格なし。
「雨がふりました」というとき、いやだ、残念だという感情を交えてはならない。農家では待望の雨の場合もある。
株の上がり下がりも同様。これはみなさんきちっとやっておられて感心します。
問題なのは事件の説明のとき、「かわいそう」とか「ひどい」という感情をあおるような、芝居がかったナレーションをいれることだ。大人でも不愉快に感じる。これは大問題です。とくに子供や気の弱い人などに与える影響を考えるべきだ。テレビ局のトップは視聴者の目線で自局の番組を見ていないのだろう。スボンサーも同様。テレビ離れはどんどん進む。葬儀の中継で東海林のり子さんが声をひそめて以来の悪習。(2014/7/11)

●国立競技場解体は延期した方が良い。自転車のヘルメットみたいな安っぽくて、あざとい新デザイン案を0に戻せ。建築界という村の村議会が正常に議論することを望みたい。安藤建築士ばかりをもてはやしてきた愚かな人々に鉄槌を。このままでは長く国民がバカを見る。
  この件のマスコミの報道は腰が引けている。薄汚い根性が透けて見える。(2014/7/8)

●韓国の船の事件の報道を見ると、なんとも残念な思いを誰もがいだくだろう。南無阿弥陀仏。
「アナウンスを信じるな」これが亡くなった人のメッセージだ。「自分自身で真実を知り、判断し、行動する」
ことが大事だということを、彼らが命を失ったことで我々に示している。
残念ながら、日本でも集団に流され、自分だけの意見を持つ人は少ない。持てば変人扱いされるのが現実だ。
「はれときどきぶた」のあとがきをもう一度読んでいただきたい。30歳くらいで書いたことだが、70歳の自分でも感心している。
ただ、そうすることは困難な道だということは、私自身がろくでもない目にあったことで経験済みだ。が、それでもやはり、一人一人が勇気を持ってほしい。そのためには、心をつよくするためには、信心は必要。こんなことは、学校教育では、その歴史的経過から、教えないのだということは、きっちり自覚していてほしい。こんなことを書くので児童書の世界では嫌われていますが、そんなことはどうでもいいのです。こどもの日なので、次世代の為に。南無阿弥陀仏。
学生や会社員だと集団に属するので、なかなかそうはいかないし、軽率にはすすめられない。ずるがしこく行動することも当然ですし、私もそうします。ただ、心の片隅で失ってはいけないものがあることだけを自覚するだけです。この矛盾をかわすためにはユーモアの精神が有効です。(2014/5/5)

●映画「舟を編む」をテレビ放映で見ました。考えこまなければ、いい娯楽映画です。封切りで見たかった。
 アメリカでは新聞社の内実を暴く映画もおおいが、日本ではマスコミに切り込む映画はない。出版社の辞書編集部という地味な部門を取り上げたのがいい。一般の方は出版社のことはあまり知らないだろう。まあ、この映画もいい感じのドラマになっているのが感動させて嘘くさい。現実はどうかな?どの世界にもある、どろどろの小汚いところに夢の花が咲くことを、もっときっちりと描く作品を期待する。それが映画の生きる道だ。出版も同じ。(2014/4/24)

●「子ども表記」で検索すると、いろいろ出るようになった。「子ども表記」なんて言葉自体、私が勝手に作った言葉だから前世紀にはなかったのです。(2014/4/4)

●毎日のように、 くだらない、おぞましいニュースが、感情をあおってかき乱す、あざとい手法で報道されます。
新聞、テレビ、見ない方が精神衛生のためにはいい。ろくでもない情報を子供に与えつづけている現代社会。大人たち全員が狂っているのではないかとおもう。
  言葉の乱れは心の乱れ。10年以上まえから「おをつけるな」とか「させていただく卑屈、してあげる傲慢」とか書いてきたが、どんどん悪くなる。
  基本は心の芯づくりができていないからだ。覚悟とか、信念とか。自分との戦い、自分を制御して、よりよい自分を作ることが、勉強であり、教育である。「いいことはやる、わるいことはやらない」
  仏道では懺悔文(さんげもん)を唱える。(平成26年3月10日)

 ●NHKの黒田官兵衛に一向衆が出てきました。歴史の授業では宗教を排除していますので、一向衆が何者かも教えません。一向(ひたむき)に念仏をとなえるので一向衆。浄土真宗の人でもよく分かっていない。テレビドラマに本願寺の門主教如?が役で出てきたのは、私は初めて見た。
  信長による弾圧の実態はほとんどふれられてこなかったので、「一向一揆」などという語句だけしか知らないのが現実だろう。
  日本の歴史を知るためには、日本仏教史を学ばないと、まるで何もわかりません。明治政府が初めに廃仏をやったつけが、ずっとつづいてきた。時代がやっと、仏教や日本古来の神社の研究をもとめるようになってきたのだろう。学問はこれからです。頭をからっぽにして、予断なしに0から研究する必要があります。(2014/3/4)

茨城常陽新聞復刊のニュースはいいことだ。日本の歴史を自分で学びましょう。中央集権のいいところと、悪いところを意識してください。日本テレビでやっている県民ショーは、いい番組です。食の違いや、言語の違いがわかることが、面白い。ミノはいらないが。
  明治政府のおこなったことの検証がここにある。中央集権によって、地域の文化がゆがめられてきた歴史があるのだが、当然これは文科省の学校教育では教えない。安倍内閣の下では、山口県が力を持ってくるのだが。東京主導に対向する意味があるかもしれない。だが、地域の問題ではない。それぞれの領域の問題である。
  最近私は「童話は教育の下請けであってはならない。童話作家は神の代理人である」と言っています。
  こんなことを言うので、児童書の世界では、教育の下請けをやったらもうかるのですから、おれをつぶすやつらばかりだ。そこに子供はいない。この意見に文句がある人は掲示板に書いてかいてください。だれも書かないのが日本の大人の腐れだ。(2014/3/1)

国立国語研究所(立川市にある)がおかしい。山田貞雄さんという人が回答しているが、あきらかに変だ。甲斐所長のときとは変化、退歩している。文科省はどういう見解なのか?
現状をずらずらならべただけの、こんな回答で質問者が理解し、納得できると思うのか?典型的な無責任官僚だ。辞書を作る人の家系だからこの地位にいるらしいが、これなら国立国語研究所は無用である。税金の無駄遣いだ。中には見識のある方もおられるはずだ。そういう方を重用するべきである。(2014/2/13)
 知らなかったが、名前は同じでも、中身が変化していたらしい。ひどいものだ。(2014/2/16)

●「時計」にルビをふるときは、グループルビといって、二字にルビをふる。「け」は時と計の間に来る。
時を「と」とは読めない。大人も同じ、おとなの「と」は大と人の間につける。時けいとか、大となとは書けないのだ。子供も同じことなのだ。子どもとか、こ供とか書けない。これがわからないという人は公務員の資格なし。
「子ども」は明確な間違いである。前世紀にこれは指摘したのだが、汚い大人ばかりだった。南無阿弥陀仏
、「厭離穢土 欣求浄土」は徳川家康の旗印です。意味はこの汚い世界を厭い、きれいな世界を求めるという仏教の言葉です。この読みはオンリエド ゴングジョウドです。僧侶はそう読んでいます。ところが国語ではエンリと読むのが正しいとされているらしい。エンリなんて言っている僧侶はいない。(2014/2/13)

●テレビがまだない昭和20年代、映像ニュースは映画館で見ました。その説明の声の、竹脇昌作さんのしゃべり方は、実に平板な感情を込めない、独特の言い方でした。わかりやすくいうと、北朝鮮のピョンヤン放送とは正反対のクールなしゃべり方だったのです。長らくテレビのニュース放送のアナウンサーもこの方式を踏襲してきたはずです。政治でも事件でも、一方的な意見に偏らないように、感情的ではなく事実を淡々と伝えることを心がけてきました。アナウンサー養成の学校などでも厳しくそう教えられてきたはずです。
近頃のテレビのアナウンサーは北朝鮮を笑えない。視聴者の感情をくすぐって視聴率をあげようともくろむ民放がまず、例えば葬儀の報道では、声をひそめて、いかにも悲しいという演技をして、見るものをも泣かせようとすする。最近のNHKは民放のまねををしてろくでもないことになっている。トップは少し乱暴な人の方がいいかもしれない。それほど、気持ちの悪い番組作りになっている。いい番組もあるのだが・・・。
竹脇昌作さんがなぜ平板な声でニュースを読んだのか?学ぶ気もないらしい。
しかも感情の込め方が、でたらめだから、おいおいそんな言葉を強調してどうする?という感じで実にいやらしく、聞くに堪えない。これがわからないというのだから、製作者はお茶の間でテレビを見ていないのだ。
カメラワークも、やたらとズームしたり、パンしたり、顔のアップをする。いまの画面は大きいのだから、バストショットで固定しておけばいいのだ。プロがプロでない。素人以下だ。
また写されている人の神経を疑う。目の前にいる人よりもでかい顔になって画面に写る。しわもうつるし、虫歯も写る。見たくない。人の顔をじろじろ見るのは失礼なことだというのが、通用しないようだ。現代人は気が狂っている。たしなみもなく、はじらいもない。(2014/2/12)
●1月30日 あかね書房前社長のお別れ会に行きました。仕事の縁は切れていましたが、同じ年の方なので南無阿弥陀仏。パーティーでポプラ社の前社長の噂を初めて聞きました。絵本が人気があっても、一切増刷されなかった訳が少し見えてきました。出版契約解除しました。
 「どかんねこ」「ながいいぬのかいかた」などの人気作品は「時計がわかる本」同様、作り直して発表するつもりです。しばらくお待ちください。応援おねがいします。(2014/1/30)

「時計がわかる本」平成26年1月発売されました。
世界のどこにもアナログ時計の文字盤の読み方を教える、取り扱い説明書はありませんでした。
針をグルグル回すだけの、非論理的な教え方から脱却しましょう。小学校の先生は必見です。
針の先の数字を読むのではなく、針の角度で時刻を知り、経過時間を針の動きの量で知るようにすることです。
この本で時計がわからないといって泣く子供は一人も出さずに済みます。前世紀に発表しましたが、絵本業界には「ちゃんとわからない大人」が多くて、泣かされました。悲願達成の本です。(2014/1/10)
●このところ鬼のように仕事をしています。ここ数年、念仏と尺八で一日が暮れていたのですが。
どちらも大きな成果がありました。
仏教はおすすめです。が、膨大な情報の、どこから手をつけるかが難しい。下の「ほとけくらぶ」を参考に。
「僧職会計士の経営道」実業之日本社)という本が出ました。サラリーマンや経営者などには、いい本です。
著者の谷慈義氏は念仏修行の先輩で、金勘定のプロですが、仏道から学ぶことが多いことを示してくれます。宗教くさくなく、仏教を学べ、経営を学べる本です。児童書の出版社の社長さんたちにもぜひ読んでいただきたい。(2013/5/3)

●「ちゃんとわかるとけい」(ポプラ社)を10年も前に出しましたが、増刷されず、アマゾンでは中古が高額になっています。読者の掲示板の投書に答えるため、時計がわかる本を新たに執筆中。大幅改定本です。これを出版するためには、ポプラ社との出版契約を解除しなければなりません。
★契約第5条(類似著作物の出版)甲は、この契約の有効期間中に、本著作物の全部もしくは一部を転載ないし出版せず、あるいは他人をして転載ないし出版させない。という条項があるからです。
   せっかく新しい時計の教育法を世に示したのに、普及しませんでした。今回は、出版したあと、他社や教科書や、参考書でつかってもらって、この教育法を普及させられるようにしたい。
岩崎書店で出してもらうつもりで作っていますが、まだ話してもいません。どうなることやら・・進展あればご報告します。
  
   教科書での教え方がだめだから、開発して発表したのに、現場の先生や親の中には利用してくれた人がいるのに、児童書界でも、教育界でも無視されました。子供の考えに対する理解力がないらしいです。私の力がないことを、子供たちにお詫びします。南無阿弥陀仏。(2013/5/3)

●掲示板に「ちゃんとわかるとけい」の投稿がありました。本屋に行くと、おもちゃのような、「ちっともわからないとけいの絵本」が並んでいます。売れ筋なんでしょう。若い親は子供を育てるのは初めてで、無知です。
私は「ちゃんとわかるとけい」を出版できたので、これで教育は変わると思っていました。が、反応がないだけでなく、逆に私が干されました。ばかな世の中です。(2013/4/14)

●「はれたまたまこぶた」原稿を岩崎書店に納入してきた。ついでに近くのトッパンの印刷博物館(65歳以上無料)を見学。インクジェットの展示を見てきた。ちょうどキャノンプリンターが壊れて買い換えたところなので、勉強になりました。(この展示は無料)印刷技術の変化は、デザイナー時代に鉛の活字から経験してきました。写植もなくなり、電算などと言っていた時代もすぎて、紙の本はどうなるのかわかりません。ハードの変化によって、作品の内容、表現も変わります。
  忘れてはならないのは人間の心です。世の中の上にいて権力をもっている人ほど、かなり腐ってきています。どの業界、分野でも。それぞれの村社会があります。原子力、医学、考古学などの事件で、人の良い日本人も思い知ったでしょう。政治だけでなく、建築、教育、マスコミ、経済などありとあらゆる分野で同じことがいえる。絵本、児童書も同じ。図書館や博物館なとも、どう変化していくのか?大変心配な状況です。
古い石に刻まれた文や、古文書、仏典、聖書などの原典を見ていくことが大事です。(2013/4/12)

●「はれたまたまこぶた」制作中。ひさびさにマックパソコンをやると、画面に暗い影ができていて、仕事がやりづらい。アップルのディスプレーだが、なんだかお粗末風。
  キャノンのプリンター、インクを買い換えたあと、「プリントヘットを交換しなさい」という指示がでたので、近くのキャノンのサービスへ行くと鍵がかかっていて、昔の営業拠点と違っていた。昔はここの営業マンからマックやコピー機を買っただが・・・管理の人が出てきて調べてもらったが、「製造中止、部品もない」だと。結局廃棄処分。新しいのを買ったが、精密機械なのに安い。がインキが高くて陰気な話だ。
  戦後の日本の製造者魂は消えたらしい。ブランドイメージは落ちるばかり。世の中進歩するばかりではない、退歩もする。先進国などという言葉自体がまがい物だ。
 価値観が大きくうねり、変化する落ち着かない時代です。が、若者や新参者、変わり者には大きなチャンスです。未来を作るには根本的な思想から始めましょう。(2013/4/2)

●映画「アリス イン ワンダーランド」監督ティムバートン、ジョニー・デップの出ているもので、3Dでやっていたものだが、
見逃したので、今フジテレビで見たが、最低の映画だ。「不思議の国のアリス」原作を追っているようで、この程度のくだらない映画を作るバカには腹が立つ。
 子供には見せられない、というより、子供は見ないだろうし、見たら夜うなされる。
 職業柄無理やり見ているが、ユーモアのセンスもない。キャラクターの顔の造形もひどい。陰気で気持ち悪い。テレビで放映するなよ。
 私は相当変なものは好きなのだが、これは不愉快なだけ。けっこうヒットしたというのだから、世の中でたらめだ。くだらん。南無阿弥陀仏。
 口直しには、とりあえず「白雪姫と鏡の女王」でも見てください。眉毛の太い白雪姫だがすぐ慣れます。女王役のジュリアロバーツは個人的には好きではないが、まあ、いい感じだ。(2012/3/16)

●所沢の航空公園でゼロ戦(零式艦上戦闘機)を見てきました。ほぼ私と同年です。当時の操縦士は存命の方は90歳前後ですから来られませんが、整備にあたった当時15歳くらいの方(現在85歳くらい)が見学にみえたと係の人に聞きました。
歴史上の実物には、出来るだけ会っておいたほうがいい。でたらめな風評にまよわされないために。
こんなベコベコなものだったのかという印象です。技術のすばらしさと、その使い方の愚かさを同時に知ることができます。
三月いっぱい展示、四月にまた分解してアメリカに帰ります。
航空関係では所沢にもまだアメリカの管理下にあるところがあることが常設の展示によってわかります。飛行機に平気で乗っている人、ぜひ見学してください。零戦展示は千円とられます。(2013/3/13)
零戦は靖国神社の遊就館にもありますが、所沢の展示は説明が生き生きとしています。常設展示で現在の航空の実態を知ることが大事。常設展示は65歳以上は無料です。(2013/3/15)

●映画「青い山脈」(原節子)50年以上前、戦後すぐに作られた映画です。これは続編のようですが、この率直さを若い人に見てもらいたい。
その後、57年東宝版、日活版(芦川いづみ、吉永小百合)とリメイクされています。こんな映画は他にはないでしょう。戦後の日本の教育の一面を見せてくれます。三作を見比べるといいでしょう。時代が変わることがわかります。その後二作あるらしい。全部で五作、ひぇー!しかも第一作と第五作に池部良さんが出ている。ひぇー!
初版東宝版と57年東宝版では同じ役者が出ています。微妙に役がちがうのがおもしろいです。若い人が知っている人では、日活版に出ているしましまのシャツを着た髭面の男、若き日の高橋英樹さんです。吉永小百合が乗っているのがホンダのスーパーカブです。ほとんど今のと変わりません。本田宗一郎のすごさがわかります。私はデザイナーとして本田技研を受けて落ちましたが、受かっていれば、その後、もっといい車が走っていたかもしれません。あはは。(2013/2/19)

●牧葉ユミ「見知らぬ世界」名曲です。忘れてました。とても良かったのに・・・「回転木馬」「冒険」今聞いても、いい。みんなのコメントのとおり。ユーチューブは文化を変える。(2013/2/18)

●いつのまにか梅のつぼみがふくらんできました。テレビなどは暗いニュースを、芝居がかった声などで、ことさらに不安をあおっていますが、いちいち感情を反応させないで、心は平静に明るく保ちましょう。健康的な笑いが一番です。特に子供たちには明るい太陽をかかげてやることです。(平成25年2月15日)

●木の実ナナ ベストアルバムの中の「遊びなれてる人みたいに」が第一興商のカラオケになりました。歌ってみてください。(2012/12/29)


ぶらんこぶーちゃん かわりばんこ●韓国版「ぶらんこぶーちゃん かわりばんこ」(チャイルドアップル)が出来てきました。日本ではうすい350円の定期講読のものしかありませんので図書館でも読めないでしょう。が、韓国のは上製本です。
  はれぶたシリーズの韓国版はカラーページが多い。子供の本に金をかけてカラーページを増やしているので、日本よりも立派です。今年はまた「はれぶたアニメ」をやるようです。
  中国の本も、この10年で見違えるように立派になっています。これじゃそのうち負ける。キム・ヨンジャの歌を聞いて心の底から、たがやしなおしましょう。後ろのほうに「アリラン」がありますが、ものすごいです。別人かとおもいました。この情念にはかないません。日本人は根底から考えをあらためないとだめです。

  公教育やマスコミ情報だけに頼らないように心がけてください。ばかを見ます。何度でもいうが、童話が、その時代その国の事情によって変わる教育というもののの下請けをやってはいけない。中国や韓国の子供も「はれぶた」を読んでいます。あの後書きもそのまま訳されています。
 私は仏道と尺八のおかげで、すこぶる元気ではありますが、精神的にはさんざん地獄を見てきて、阿弥陀如来のお迎えを待っているだけの身なので、いいたいことをいうだけです。ゾンビはうそをつかない。南無阿弥陀仏。(2013/02)

島津亜矢とキム・ヨンジャの競演!今年の紅白には、この二人をぜひぜひ出してほしい。芸能界、テレビがへんなのは、金が絡む裏があるからです。マスコミもグル。出版界もへんですね。教育界もひどい。心を失っている。
  キム・ヨンジャの歌は心の奥底からわきあがってくるなにかを感じさせる。日本人が忘れた、バカにしてきた、なにかだ。
  まわりをキョロキョロ見回して、人目を気にするな。自分の血の流れ、自分の心の奥底のどろどろと、わきあがってくる命のほとばしりを感じることだ。子供から大人になるのは、自分を制御することだが、かたくなに制御しすぎてもいけない。精神が狂う。常にどろどろをはきだし、愉快な心に持っていくようにしなければいけない。「笑い」が大切。芸能文化には大切な役目がある。
  お釈迦様の言葉を伝える「法句経」に「人をうらむ心をすてよ。すてなけれはうらみは消えない」というような言葉がある。うらみ心は、どんどん大きくなっていく化け物のようなものだから、いじめ問題の解決には仏教の智恵を借りなければだめだ。自殺や犯罪予防にしても、人の生き死にの根っこをとらえ、考える勇気を持つことから始まる。
  20世紀は戦争の時代だったが、うらむ相手をやっつける方法を考えることに、頭のいい人は全力をあげる。兵器の開発や、だましのテクニックもそうだ。新しい道具のコンピューターを使うにしても、悪事に使う智恵ばかりが盛んになる。
  だからこそ教育の一番はじめ、はじめの一歩を、どっちに踏み出すのかが問われる。日本の教育を作りだす大本の東京大学の教育学者なども、「子供」という字に変ないちゃもんをつけて、「子ども」と書かせるというおかしなことになっていることを改めようとしないのは、でたらめなことだ。論理を正しくすすめることができない者というしかない。
  若者はそんな大人にはだまされないように自分を鍛えることだ。自分の目で見て、自分で考える。それが学問であって、教科書を無批判に覚えて、大人が勝手に決めた正解とかいうものを答えることが学問ではない。(2013/2/7)

島津亜矢さんの「黒百合の歌」昔の歌ですが、圧倒的です。亜矢さんの歌で、連日のこぎたないニュースで汚れた心を洗いましょう。「みだれ髪、赤いハンカチ、風雪ながれ旅」コメントにある通りです。ただ、この人のための歌を作る必要があります。ディレクターなど詩がわからない人ばかりだから絶望的だけど、大募集したらどうか。書きたいけど書けそうもない。(2013/2/5)

●桜宮高校。大騒動から一転して「すばらしい教育委員会」になったらしい。便所におくのがちょうどいい。うまく点数かせいだが、肝心の暴行事件の犯人はまだ逮捕されていない。テレビの生番組で、橋下市長が知っているという実情を明かすように要請したテレ朝の長野さんに対して何も答えず、「インターネットを見てください」だと。めちゃくちゃだ。
  暴力以前に、力を持っている教師が管理下にある子供を脅すことがあってはならない。にぶい人は、誰かが死なないとわからない、行動しない。そこが一番の問題なのだ。解決のためには死んだことを武器にするな。(2013/1/30)

●前世紀から教育について書いてきたが、当時同じようなことをいっているなあと思ったのが尾木直樹さんだった。いつのまにかテレビタレント化していた。(生徒の記者会見に激怒したらしいが、これが良くわからない。尾木もへんだな。)
  おれは世渡りがへたで、子供のようにバカ正直だから、いろいろ書いていたら、児童書の仕事がなくなってきた。出版社の人から面と向かって「ホームページが過激だから・・・(本出せないということ)」といわれたこともある。「心のきれはし」を出版したら、「なんであんな本出した?」とベテランからいわれた。絵本を出して売れても、再版してもらえないから、兵糧攻めだ。人気があるのに手に入らない。
  「ちゃんとわかる時計」は古本が三千円から七千円にもなっている。正しい時計教育はこの本しかない。教科書会社の方はぜひこの方式を採用されたい。文科省の人も、知らないのかどうかわからんけど。実際この本をつかって教えたという先生や親もいる。

 「心のきれはし」に書いたが、「童話は、教育の下請けになってはいけない」ということだ。教育は政治によって、時代によって変わる。が、童話はもっと基本的な、読んだ子供が時代が変わっても、住む国がかわっても、人間として生きていく中で役に立ってくれることが一番だ。
  新しい童話を書くのは神話を作るような無謀な試みなのだ。読者が「七歳までは神の子」といわれてきた子供だからだ。唯物論や近代西欧思想に毒されてきた児童書の業界人はこの点がわかっていないから、おれの話を聞く耳を持たない。一年生の心をつかんでいた寺村輝夫さんもそうとう悔しい思いをされていたようだ。
児童書は教科書の下請け的なところもある。教科書にのると売れる。参考書や副読本、図鑑なども出版社の大事な仕事ではある。が、童話はその上位に置かなければならない。自殺をふせぐなら、いじめをなくすのなら。子供にしあわせになってほしいのなら、子供の心に直に影響を与える童話の内容のことを、もっと大人は素直に感じとり、話し合ってもらいたい。(2013/1/30)  

●漫画サンデー(実業之日本社)が休刊になるらしい。私が漫画を描いていたのは、もう40数年前のことだ。

  漫画サンデーは親父向けの漫画雑誌で、一コマや四コマの、笑える漫画を載せていた。政治風刺や時事ネタもあり、漫画家としてはとにかく笑わせたやつが勝ちという世界だった。手塚治もアトムなどとは全くちがうタッチで、さらさらと描いた絵はうまいが、おもしろくはなかった。根がまじめなエライ人だから・・・。それでも笑わせる漫画を描きたいという思いは強く持っていたようだ。超多忙で収入もある人が、わざわざ漫画サンデーに描く必要はないのに描くのだから。だが、ギャグ漫画はバカになったやつが勝つ。今のお笑い芸人に似ている。
  読者が親父だから、当然エロ漫画もおおいが、ナンセンス漫画や、新聞では無理な過激な風刺も発表できた。風刺漫画では編集者からテーマを与えられる。美濃部都政、ヘドロなど環境問題とかだが、週刊誌なので4日くらいで作品にしなければいけないので、鍛えられたし、世の中のあらゆる出来事を知っておかないと仕事にならないので、新聞、テレビ、週刊誌も読みまくった。しまいには、週刊アルファという百科辞典まで読んだ。たしか一週分の分冊が190円で安かったので買えた。もう今は不要なので、この前トイレットペーパーと交換した。漫画サンデーは20代の若者の道場だった。当時の若い漫画家は今でも描いている人が多い。
   漫画サンデーに載せた漫画はいずれ公開したい。南無阿弥陀仏。(2013/1/11) 

●中国から「晴天有時下猪」の翻訳者の彭懿(ほうい)さんと、通訳の周龍梅さんが、国会子ども図書館に来られた。
  講演の翌日、児童文学者協会で、日中児童文学交流センターの人といっしょに懇談しました。
  日本と違う中国の児童書事情が聞けました。ポプラ社の書店などの現状とか、日本人が知らされていない中国の生情報は刺激的でした。
  マスコミはなぜこういう文化交流の実態を伝えようとしないのか?日本の店舗や車をたたき壊す映像ばかりをを流し、日本の絵本や童話が読まれていることを、全く伝えない。「はれぶた」のテレビアニメは数年前、香港などで熱狂的に視聴されたのに、制作したアニプレックスも、それを伝えようともしない。
  日中関係は長い目で見て改善しなければならない。中国の日本に対する情報の流し方を非難する前に、日本で中国の現状を正しく伝えているのか、マスコミ諸氏に問いたい。というより、日本での日本の児童書の実態すら正しく伝えていない。あたかも事件の情報を警察発表に頼って記者の目で見ていないのと同じ。もっと悪い。業者に丸投げしている新聞もある。問題山積みの子供の心を、無心になって感ずることから始めよう。でなければ、少子化問題、いじめなどの問題解決はおぼつかない。
  彭懿さんは20年以上まえに、「はれときどきぶた」を中国に紹介してくれました。「おしいれの中のみこたん」「たまねぎ博士」なども、翻訳しお終わったと聞きました。
(2012/12/2)

●現在の心境
10年前は正論を述べれば世の人はわかると、単純におもっていた。「子ども表記」は間違いだと指摘してみると、多くの教師や言語学者などには賛同をえたが、棲息している児童書畑ではひどい目にあったので、死活問題となった。へなへなになって一時は発言をひかえたが、借金地獄を脱したので発言できる。
  昔の中学の国語の知識でわかるはず。半世紀もまえのことだが、中学の国語の先生には、文法も細部まできちんと教えていただいた。かなりレベルは高い。
「子ども表記」を推進しているのは、東大の教育学者、法律家など。さらに、教師採用の権限をもつ者たち。児童との現場にいる者等。  大半が公務員や、国家資格を持つ者だ。
  民主党政権になって、急激に「子ども手当て」などで使用が広まった。「子供のためです」といえばだれも反対できないので、実態はでたらめで、子供のためにもならなくても、票は入る。結果として、幼稚な大人のすることで、ばかをみるのは子供たちだ。

子供自身のためになるかどうか、その子供のこれからの長い、苦しいこともあるだろう人生に、役に立つかどうかだけを判断すべきだろう。それが大人のつとめだが、幼稚な大人ばかりだ。
  政治家、裁判官、高級官僚、大学教授、新聞社の論説委員、テレビに出ているもの、識者とかいう者に「こども」という字の書き取りテストをするべきだ。
文部科学省官僚が田中真紀子大臣を(元大臣か)かばって平気で見え見えのうそをつく姿を見て、子供たちも大人の世の中のことを勉強できた。この官僚を責める気はないが、このままではだめだ。
大人は正しい生き方の見本を見せる必要がある。
日本語の表記の歴史を、国立国語研究所が明確な答えを示しているにもかかわらず、文部科学省自身が乱すとすれば、成績優秀なはずの一人一人の人間の精神の有り様を問わなければならない。
「子ども手当て」を通した、法律用語を管理する内閣法制局もひどいものだ。これが日本の実態である。日本の大人は、学業成績優秀者ほど腐れ切っていて、幼稚である。(2012/11/17) 

●大人が幼稚だと、良い見本がないのだから子供は育ちようがない。昔は地域で子供を育てていた。今は特に都市部では家庭単位になっている。子供が話をする大人は、親と学校の先生だけだ。管理されてばかりいる子供は自主性が育たない。
  大人は自分が子供のとき、大人にたいしてどう思ったか、思い出すと良い。これができない大人が多い。それは幼稚な大人だ。
  若いうちは自分が上をめざすのに精一杯だが、人生も終わりに近づくほど、子供時代のことが思い出される。子供時代がいかに大切かわかるようになるのだ。(2011/11/13)

●大人が幼稚だ。昔の大人なら「○○だ」と断言したことを、今はいいおやじが「○○かなあ・・と思います」だと。子供の言葉だ。政治家などが使う言葉ではない。自分の意見を確立したなら断言して主張すべきである。世間の評価をうろちょろとさぐるな
。最低だ。
  だからはっきりものをいう石原慎太郎元東京都知事や、橋下大阪市長が目立つ。主張の善し悪し、賛成反対は別にして。
  丸谷才一氏も亡くなり、言葉にうるさい人は絶滅したようだ。言語学者は調査はするが、自分の意見は言わないそうだ。言うのは昔から作家、評論家である。そんな有力作家も絶滅した。出版文化の危機といえる。
  児童書の世界では、なにしろ文部省の認可する教科書に載るのが作家としての一番出世だから(特に名声と金銭で)言語についてとやかく言う人はいない。というより、そんなことを言えば干されるのである。そんなアホな作家は児童書の世界では、嫌われて生き残れないだろう。南無阿弥陀仏。
 (2011/11/11)

●大人の言葉がめちゃくちゃです。「(私が責任をもって)いたします」と言わず、「させていただきたいとおもいます」だと。誰にさせていただくのか、主語を確認してください。責任のがれの予防線をはって、相手を持ち上げて言い気分にさせて、ほくそえむ、くだらないテクニックだと、なぜ見抜けないのか。バカな大人たちよ。
   子供という字や、障害者という字を書けない大人が増えています。特に公務員や、その周辺、つまり司法教育等の国家資格を持つ者、その下請け的な仕事をする人に多い。一般人から見るとなんじゃこりゃというような、へんな思考の人々。大学の先生や、新聞テレビなどの報道人にも多い。
   例えば民主党政権誕生前のマスコミの論調を、もう一度思い出しましょう。もうだまされるのはこりたはず。だまされないためにはどうするか。子供のころから長年にわたって教育されたことを0にして1から自分で論理を組み上げるしかありません。
せっかく勉強したことを否定し、尊敬してきた先輩や、先生、識者を否定する作業をしなければならないので、感情的には身を切るつらさがあります。孤独にも耐えなければならない。それでも自分自身の考えを打ち立てるにはそうしなければならない。若いうちにそうしてください。年とったひとは、仕事の現役を離れればやりやすいはずなのですが゛頭が固く、意固地になっていて、若いときの成果を捨てたくない気持ちがあるので困難です。それこそ死んだ気になってやればやれますが。
   70歳くらいの人で、徳川家康は悪い人、豊臣秀吉は立派な人と思っているひとが今でもいます。子供のころの偉人伝では、豊臣秀吉は偉人になっていましたが、徳川家康は偉人伝になっていませんでした。それは明治時代からのことです。徳川憎しで、敵の敵の豊臣を異常に持ち上げたということです。今は維新維新と騒がしいが、明治維新と、昭和20年の激変を正しく検証するには、教科書の歴史観に頼っていたら、成績の良い人ほどまちがいます。戦後、もう70年近い歴史を冷静に振り返る作業が必要ですが、できていません。ろくでもない世です。新聞、テレビ、出版の仕事が問われます。現状は惨憺たる絶望状態だと感じます。
  頼りになるのは、お釈迦様その人の考え方、教えです。(法句経などで知ることができます)(2011/11/11)

●中国からの観光客が激減というニュース。中国民衆が「日本は危険」という、上層部が流したうその情報を真に受けた結果だろう。銀座で百万単位の買い物をする中国人というのは、中国の一般の民衆ではない。世の中が変化するとき、小賢しく動き回り、巨富を得る人というのは、いつの時代にもいる。質の悪いやつらは来ないほうがいいし、あてにしているとしっペ返しを受ける。中国の民衆が怒っているのは不平等感によるもので、そのはけ口として日本が標的になっているらしい。
   留学生などの真面目な人々とは区別した方がいい。これを機に、ただ中国人と見るのではなく。どういう中国人なのか、中国の中での評価も報道してもらいたい。どの国にも、日本にも、いろんな人がいるのに、報道する者が考え違いをしている。受ける、部数を伸ばす,視聴率を稼ぐことしか考えていない。だから現に信頼されていない。(2012/10/3

●中国や韓国との問題によって、現在の日本人像が鏡に写し出されたようだ。
自分のことは自分では客観的に見ることはむつかしい。教育、訓練によって、その力は得られる。人生の多くは自分との戦いに費やされる。お釈迦様は具体的にその方法を教えている。それが仏道。
 自分を良く観察し、反省もして、良い方向へ進む。
  他人を見る時も、他の人の評判に影響されないように、自分の目で、真っ白な心で観察する。そうすると、今のマスコミ報道や出版などの、ろくでもなさが見える。
  大人が幼稚だ。「・・かなあと思います」「・・させていただきます」「温度差がある」
(意味不明なあいまいな言葉だ。言っている本人も漠然と違和感を感じているだけで、どこがどう違うのか、きっちりと考えをつめていない。無駄な発言だ。)
  こういう言葉使いから、幼稚さ,無責任さが読み取れる。
  民主党がばらまいた「子ども表記」が改まらないのも同じ理由。自分で独自に考え、発言することができるようにするのが、真の教育だ。無批判に多くのことを覚えた者が成績優秀者とされる現実を変えなければだめだ。
中国や韓国がそのことを教えてくれている。若者に期待する。
(2012/9/30)

●世の中は進歩もすれば、退歩もする。デジタル機器は目の悪い人には使いにくい。演歌好きの年寄りが使うカセットテープレコーダーは昔よりお粗末になっている。
ソニー製品TCM400。小さくmade in chinaと書いてある。安いけどSONYと書いてはいけないひどい音質。ここ10何年、買い換えるたびに品質が落ちているのでがっかり。ウオークマンを作った黒木靖夫さんも草葉の陰で泣いているだろう。
仕方なく買い増したソニーのダブルラジカセも中国製だが、音はまあまあ使えるが、音質は昔より悪い。テープレコーダーの品質でSONYブランドが出来上がってきたことを、今の社員は知らないらしい。井深さんや盛田さんが作ったテープレコーダーを毎日拝むと良い。そうしなければこの企業も誤ることになる。カセットテープレコーダーの製造は中国人にまかすというのなら、彼らに技術の根本精神も伝え、教えなけれはいけない。安くできればいいというバカな考えの大人ばかりになった。

パナソニックがボタンの大きい、おけいこ用テレコをまだ売っているのは良いことだ。作り続けてほしい。楽器の練習にはこれが一番。
デザイナーは若者なので、年寄りや病気の人でも使いやすいデザインには気が回らない。トップが指示を出さなければ。(2012/9/27)

●その後いいものを見つけました。ソニーのおけいこ用レコーダー。カセットテレコのような使い勝手で、音はいい。ボタンもテレコと同じ様式で、見やすいし、子供や年寄り、目の弱い人でも使えます。ただしカードの出し入れは若い人にやってもらうことになりますが、一枚で20時間くらい録音できるので、カセットなら
山盛り分が一枚でおさまります。(2011/11/26)


ブルーナのミッフィーとサンリオのキャシーの著作権裁判と和解
(一年まえのネタですが)このような裁判では、マスコミは告訴した側の言い分を大々的に伝える。告訴された側は悪者扱いに成りがちである。だが法律論だけで文化を裁くことは良くない。
司法関係者はこのような文化的な創作のことには無知である。業界での討論によるべきものだ。だが、それは全くなされず、結論も出さず、「和解」という一見うるわしい言葉で解決した。しかも東北大震災に訴訟にかかるだろう金銭を寄付するということで世間の称賛を得た?
私見ではブルーナに当時としてはある程度の独創性はあり、キャラクター絵本の商売は予想以上に特に日本で、もてはやされ、うまくいった。だが一度儲かると人はますます欲の皮がつっぱってくるものだ。あわれなプルーナも同様。サンリオのうさぎが出たとき私も「ブルーナのまねだな」と疑問をもった。これは社員か下請けの無名のスタッフが作ったものだろう。本来著作権を議論するのなら、サンリオではなく、その人物を俎上にのせなければだめだ。なぜならば、創作は個人の心の中で行われるものなのだから。その作品を認め、権利を所有したのは会社であっっても、著作権を討議するのなら、その制作過程でのその人物の証言が必要である。だが、弁護士も裁判官もそんなことには無知である。だからろくでもない結論になる。今後、うさぎを描くときに、一体どうすればいいのか、さっぱりわからないではないか。ブルーナよ、ちゃんと説明しろ。
結論をいそぐと、ヤフー知恵袋などに一般人が疑問を呈したことの多くが当然の正しい意見である。薄汚い有名企業の国家を越えた著作権争いで、絵本を、幼児の心を汚す、賢いかもしれないが、小汚い大人ばかりになった。そしてデザイン、絵本などの業界のプロでも宣伝屋ばかり。辛口の評論家がいない世界は腐る。
 私は最近は世間法ではなく、仏法によって判断するようになったので、よけいなことを書いています。自分のためにはならないが、次世代のために。
画像はネット上に相当出回っているので、周知のものと判断して、勝手にぱくったので、ブルーナや権利者から文句があれば、その経過を公表してから消します。(2012/6/14)

●お盆が終わりましたが、お盆というものが、里帰りやお祭りなどで、若い人にも引き継がれ、ていることに、感心します。今年は特に東北の様子で、テレビ報道などでも、まだ遺体も見つからない死者たちが多くいることを意識し、日本のお盆というものを改めて見直したといえるだろう。同時に、震災以外で亡くなった人たちも多いことを忘れることはできません。
仏教では、生死(仏教ではセイシではなく、そのころの中国の国の読み方にしたがって、ショウジと読みます)、生死を越えるということを目指しています。生死を越えると死はこわくないし、忌み嫌うことでもありません。こういう情報をお寺もあまり伝えようとしていません。自分で調べてください。ほとけくらぶでも、力不足ですが、少しやっていますので、ご覧ください。(2011/8/15)

でしこジャパンでサッカー大盛り上がりだが、子供がサッカー出来ないという現状をなぜマスコミは伝えないのか?澤選手は下の事件を知らないだろう。国民栄誉賞どころじゃないだろう。(2011/7/25)
●下のサッカー少年の事件についてだが、「田中裁判長」で検索すると、このサイトは12ページ目に出る。多くの人が、この判決に異論を述べているので、安心するところはある。が、大部分が若い人の意見らしい。バイクで通りかかった老人にたいして、あまりにひどい書き込みが多いことに、愕然とする。ボールを蹴った少年やそのご両親に対しては同情的な意見ばかりなのは良い。だが、ボールをよけようとして事故になったバイクにのっていた老人に対して、ひどい書き込みばかりなので、腹立たしい。いわく、「老人はバイクに乗るな」など。30歳くらいの人が多いのだろうが、この老人は被害者だ。悪いのは死後訴訟をした遺族5人と、その弁護士である。少年をかばうあまりに、この亡くなった老人をくさすというのは情けない。まったく情けない。日本はひどいことになっているようだ。30歳が60歳になるのは、あっと言う間だ、30年後に身に沁みてわかるだろう。おれはとっくに死んでるが。いずれ自分が行く道だ。南無阿弥陀仏。(平成23年7月1日)
またまたおかしな判決が!大阪地裁!
新聞報道によると、「小学五年生が小学校の校庭でサッカーボールをゲートに向けてけったところ、門扉をこえて道路へ転がり出た」こんなことは日常当たり前にあることである。「バイクで通りかかった人がよけようとして転倒して足を骨折した」運のわるいことだがこれもありがちな事故だ。「高齢のため翌年死亡した」この件に対して大阪地裁の田中敦裁判長は「ボールが道路に出て事故が起こる危険性を予想できた」として過失を認定したとある。冗談ではない、子供が校庭でサッカーをすることを禁止したも同然ではないか。この田中敦裁判長という人、まともではない。頭が法律漬けになっていて、人々の市井の生活というものがまったくわかっていない。「少年は未成年で法的な責任への認識はなく、両親に賠償責任がある」だと。この人は子育てをしたことがあるのだろうか、これでは子供を育てる人はいなくなる。
高裁ではまともな判決をおねがいしたい。狂った司法によって日本国の未来が危ぶまれる。TBSテレビ昼おび(恵さんの番組)のコメンテイターの八代弁護士も認識が甘い。「保険に入っておいたほうがいい」だと。マスコミはバイクの男性の遺族5人が五千万円を請求した経緯などくわしく報道してください。亡くなった男性がどう思うかもふくめて、国民的関心事として議論しなければいけない。薄汚い世の中になったものだ。童謡「まりと殿様」の少女を処刑するような話だ。子供を薄汚い大人たちがよってたかっていじめている。「子ども」などと書いている子供のちかくにいるはずの大人たちよ、この件について発言を!政府の文部科学大臣などにも発言を求める。なむあみだぶつ。(2011/6/28)


「そのまま飲める赤ちゃん用ミルク」のこと
●一年後くらいに、どこかのメーカーが発売することを望みたい。関係者の奮起を期待しておきましょう。(2011/6/20)
●そのまま飲める赤ちゃん用ミルク(乳児用液体ミルク)のことですが、その後まったくマスコミでも取りあげられません。母乳のかわりのミルクが、日本では粉しかないのは、どうみてもへんです。メーカーや専門家の意見をお聞きしたい。なぜ日本には粉しかないのか?液状ではまずい理由があるのなら世間に知らせるべきだし。マスコミはなぜ、この件をとりあげないのだろうか?新米の母親たちが、きのどくでならない。検索しても何も出ない。やっと出たのがこれだけ。
一方、ネット上では「なぜ、日本に乳児用液体ミルクがないのか」という声が相次いでいる。
 乳児用粉ミルクは、食品衛生法と健康増進法で製造や栄養などが規定されている。だが、乳児用液体ミルクにはこれらの法的な規定がなく、製造はできない。このため日本乳業協会は平成21年春、厚生労働省の審議会に「乳児用液状調製乳」として製造販売できるよう基準作りを要望した。」
筆者不明 だが産経新聞文化部生活班らしい。勝手にコピーした。(2011/5/24)
●下の「そのまま飲める赤ちゃん用ミルク」のことだが、これほど頭をガツンとやられたことは、近頃珍しい。
私自身の経験は30年前になる。母乳が出なかったので、粉ミルクを買うことになった。悲惨な貧乏生活をしていたのでかなりの負担になる。武蔵野市から現物をいただいたり、安いミルクを探したことを思い出した。母乳の代わりは「粉ミルク」和光堂、森永、明治があった。とにかく「コナミルク」缶に入った粉だった。液状のものは、頭から無かった。
離乳食を食べるようになって早々とミルクは必要なくなる。新米の母親が心配で右往左往しても、喉元過ぎれば熱さを忘れるから、あとは関心もなくなる。進歩も改善もないのだ。
冷やかに、次々と生まれる子供の母親に対して先輩面するだけになるのだろう。子供関係の業界は、毎年同じことをしていれば、次々と新米の親と子が現れるので、商売になるのだ。親は我が子が成人するまで、文句はいえない。成人したら関心もなくなる。だからこの世界は安泰です。(2011/4/13)

●4月8日のFNNスーパーニュースでの報道。フィンランドの日本人から赤ちゃんのミルクが送られてきた。豆乳のような紙容器にはいった「そのまま飲める乳児用のミルク」だった。粉ミルクをお湯でといて作る作業はめんどうくさいものだ。外出するときは特に気を使う。30年前に、それまでは布おむつを使っていたが、紙おむつが普及して革命的に楽になったことを思い出した。さいきん布おむつが見直されてきたのもよいことだが、ミルクのほうは、全く進化しなかったようだ。
どうして日本には、そのまま飲める液状の乳児用ミルクがないのか?
メーカーは考えもしないのか?多分商品化を考えた人はいただろう。政府、役所に認可されないということなのだろうか?
東日本大震災は日本を変えた。フィンランドからいただいたミルク(写真見れます)を日本の被災地の赤ちゃんは飲んだ。実績はできたのだから、直ちに日本でも製造発売すると良い。緊急時にお母さんが、保育者が、とても助かる。今はチャンスだ。メーカーの人は、やってみる価値がある。関連情報(ニュース見れます)http://suomi.exblog.jp/   http://macomotion.blog36.fc2.com/ (2011/4/8)
★「そのまま飲める乳児用ミルク」で検索してみたら、いろいろ出ました。

●二年前のブランコ事件
 子供の遊び場の問題が深刻です。外で思いっきり遊ばせることが大事。私の子供のころの大人は「子供は風の子」といって、外においだしたものです。小学生ともなると、一日外に出たっきりかえってこない。
 今の子供は不自由です。心のなかまで囚人のように監視されています。これじゃまともには育たない。
 せめて、ブランコくらい、おもいっきりのせてやろうではないですか。
 国分寺市にはプレイパークがあって、秘密基地をつくって冒険遊びをしています。でもそれはごく一部です。なかなか、そういう思想は理解されません。
 下の記事をいま読むと、自分でも「おいおい偉そうなこと言うじゃねーか」と言う感じ。児童書の世界で干されたこともあり、生活できず、いまはおとなしくしているのですが、若気のいったりきたり。しかし、ちーとも世の中よくなってないのに、消してしまうのもなんだしなあ・・・その辺をご理解ください。どの辺?そのうち全部消します。(2008/3/16)

  諸行無常、諸法無我。涅槃寂静。一切行苦。南無阿弥陀仏。

●ブログ「ココログ」の「ぶたの一声」
2006年3月 4日 (土)

ブランコが消えたけど復活した

天気がいいので、公園にいくと、なんとブランコがあった。
子供が楽しそうにのっているし、土曜とあって赤ちゃん連れの親子もいて、小さな公園がにぎわっていた。シールに「3歳から12歳用」とかいてあったが、そのシールが早くも端っこがめくれていた。地面からやたら高いのはしかたがないのか。

座面は一体成型のプラスチックだった。メーカーも製造物責任を問われて御苦労も多いでしょうが、今後とも研究を重ねて良い製品を提供されることをお願いします。

現場の公務員の方も、見識と勇気をもって仕事にあたられることだ。地域の変な団体などから訳のわからないイチャモンがつくこともある。公務員や、会社の現場ではたらくひとびとが、恐れてびびって、過剰防衛をする。こんな社会をまともにするのは困難だが、ひとりひとりが強くなるしかない。若者は己を鍛えて、腐った大人に対抗しなさい。

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2005年11月12日 (土)

ブランコが消えた12

進展なし。どこかの公園(調布か?)の写真では、おむつカバーのような形のものを板のかわりに使ったブランコが写っていた。親がつきそいで赤ちゃんを乗せるものだろう。ひとりで乗りたい幼児や、児童にいじわるをしている。そんなものに少し大きな子がのれるわけがない。

ブランコの位置がやたら高くなっているのもおかしい。高ければ幼児は怖い。

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2005年9月13日 (火)

ブランコが消えた11

箱ブランコの行政の対応についての指摘

http://www.sportsnet-japan.com/Safety/Topics/Jikenbo/20020910-105349.html

ブランコが消えてしまうわけ

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-11-15/13_01.html

ブランコの歴史は古い。公園遊具の王様だ。子供が歩いて行けるところにあることに意義がある。

2005年7月29日 (金)

ブランコが消えた7

ブランコをじゃま物あつかいして、子供からその楽しみを奪う動きがあるとすれば、国家、民族存亡の大問題だ。

私は普通のブランコだけでなく、悪者扱いされて絶滅しかかっている箱ブランコも復活させるべきだと思う。http://homepage3.nifty.com/harebuta/benjo.htm

学問のすずめ「遊具の問題。箱ブランコをどうするか?」参考に。

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2005年7月25日 (月)

ブランコが消えた4

あらためて考えると最近できた窪東公園(元学校のグランドだから広い広い)にも遊具はあるが、昔ながらのブランコがない。

近年整備された内藤公園や近くの公園にもブランコがない。国分寺市はブランコをなくす方針なのか?もしそうなら、これは国家的な大問題。ブランコとは何かという命題から出発しなければならない。保育研究において遊具の研究はまったくなされていないといってよい。

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ブランコが消えた!2

7月22日公園に確認にいくと、更地のまま。砂場にいた母親に聞くと、「二つのブランコがぶつかるので、危ないから撤去したらしい」という返事。

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2005年7月21日 (木)

ブランコが消えた!

6月のある日、東京都国分寺市の都営住宅に隣接の小さな公園に寄ってみると、なんかへん!二つあったブランコが消えていた。腐ったために取り替えるのかと思ったが、説明看板もなにもない。

そこへ若いお父さんが1,2歳の女の子をつれてやってきたが。「このあたりで、ブランコにのせようとしても、遠くまでいかないと、ないんですよ」という。「そのうち新しいのができるのでは?」と答えておいた。

ブランコにのれない子供の一日は長い。「ぶらんこぶーちゃん」(チャイルド)を出版したばかりなのに、よりによって、おれんちから一番近いブランコが消えるとは!ほかのは500メートル以上離れている。

現在都へ問い合わせ中。

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●便所論 「男子便所の小便器の追放には反対する」

「小学校で男子はうんこができない」ことを拙書「心のきれはし」にも書いてあるが、これを是正しようという動きがあることは結構。
だが、先日の毎日新聞の報道では、ある学校で男子トイレの小便器を無くして、全て個室の洋便器にしたらしい。これで、「うんこしたかどうかわからないから、いじめられなくてめでたし」だと。
教育者が教育を放棄して、設備に頼って、「くさいものにふた」をしてどうする?


●平成15年2月10日東京新宿の紀伊国屋ホールで日本文藝家協会主催の「だれが本を殺すのか?」シンポジウム「書籍流通の理想をめざして」があった。
いずれ報道されるとおもうが、会場は満員だった。万引き、図書館、ブックオフ、再版、ハリポタと問題山積み。滅多に聞けないそれぞれの本音が炸裂した。しかし、本の内容制作に関しては、ほんの一言作家から発言があっただけ。
だれが本を殺すのか?

★60年近く生きていると、いろんなことがわかってくる。若いときには見えなかったものが見える。修行次第でかなりの境地にたっすることもできるのだが、明日にでも死が訪れるということも実感する。

★どういう生き方をするかは自分できめなければならない。
よく議論の場で「それなら山の中で一人で生活しろ」と、社会性を問われることがある。
この「社会」というものが曲者だ。昔の日本人は、「世間様(せけんさま)」と「お天道様(おてんとさま)」を心の規範としていた。

★世間様にそむくと、物質的生活がなりたたなくなる。
お天道様にそむくと、精神的生活が荒れる。
世間様より、お天道様のほうが圧倒的に強い。
 
★現在の日本は、世間様はでたらめで、くずが大声でどなり、いばり、大きな顔をしていて、金をもうけている。金をもうけたやつが、名誉も尊敬も受ける。

★お天道様はいらっしゃるのか?



うそ作文 教育の実践例
★うそ新聞の作り方
 小学生に紙をわたして、「うそ新聞を作ろう」というと、たいがいの子供は書き始めます。
この能力にはおどろく。なかには、なにを書いたらいいのか、戸惑う子供もいる。
そんなときの指導法。
 基本的に、大人がふざけてみせる。心の垣根をとっぱらってやることが必要。
「なにを書いてもいいんだ」と、子供がなっとくすれば、自然にいろんなことを書く。